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「争いがなくなる考え方」(浄土真宗・親鸞の言葉)

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。

お釈迦さま

この動画では、心学研究家「小林正観さん」の言う
地球上から争いの心がなくなる考え方を順を追ってご紹介します

浄土真宗の開祖「親鸞」

浄土真宗とは大乗仏教の宗派の1つですが
その浄土真宗を興した人が親鸞しんらんというお方のようです

親鸞が残したとされる言葉があります

親鸞の言葉
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

意味
善人は、心穏やかな死を迎えることができる
しかし、悪人はもっと神仏に近い死を迎えて極楽往生を遂げる

とこのようにとらえられているそうです

悪人正機説

親鸞の言葉は
一見すると「なぜ悪人のほうが善人よりも上なのか」という疑問を持ちます
この点については「悪人正機説あくにんしょうきせつ」といわれ
いろいろな解釈がされているようです

ある人の解釈では
この世で善人の役割をやってくださる人は、それなりにありがたい存在だが
悪人の役割をしてくださる人は、もっとありがたい存在である

という解釈です

正観さんの解釈では
自分を善人で立派なものだと思っている人は、大往生を遂げるかもしれない
しかし、自分は悪人でどうしようもないやつだと思っている人のほうがより仏に近い

と解釈しました

お釈迦さま

そして正観さんは
親鸞もこのように言いたかったのではないだろうかと考えていますが、
そのことがわかるエピソードがこちらです

親鸞のエピソード

あるとき親鸞が檀家からこのように言われたそうです
「親鸞さんはもちろん素晴らしいお方ですが
お弟子さんたちも、みなさん素晴らしい人格ですね」


これに対し、親鸞は次のように答えました
「私には弟子はいません。この人たちはみな、私の師匠です」

このことから正観さんは
「親鸞は自分をたいしたものではないと考え
弟子を作り変えようとか、思いどおりにしようとしなかったのでしょう」と考えています

争いがなくなる考え

正観さんは言いました
憎しみや争いは「自分が正しい」と思ったところからはじまる

ある集団が全員「自分は正しい・善人だ」と思っている集団というのは
常に闘いと争いを引き起こしてしまう

逆に「自分は間違っているかもしれない」
「自分はたいしたものではない」
「自分は間違いを犯す悪人なのだ」

悟っている(謙虚になっている)人たちの間では
闘いや争いが起こらない

いかがでしょうか

「自分が正しい」という気持ちは正義感・使命感から起こるようです
正義感を自分にだけ向けて自分を律するのならよいのですが

他者に向けると、憎しみが生まれます

「自分はたいしたことない」という謙虚な気持ちを持つ人は
争いを起こさないだけでなく

お釈迦さま

味方を増やし、神様さえも味方にして
人生をラクに過ごせるようです
参考にさせていただいた書籍↓