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不幸は「幸せの前兆」起こることはすべて最高

このページの内容を動画で解説しています↓


以下、文による解説です。

お釈迦さま

私たちは 不幸な目に遭うと
落ち込んでしまいますよね。

お釈迦さま

ですが 心学研究家「小林正観さん」の
「不幸」の見方が変わる発想があるので紹介します

代償先払い

年間 330回もの講演をしていた
「正観さん」の元にはいろんな相談がよせられました

例えば
交通事故に遭いました…
財布を落としました…など

こういった相談に対して
正観さんは にっこり笑って言ったそうです

「よかったですね代償先払いですよ」
正観さんが発見した 宇宙法則の中に代償先払いがあります

ポイント
代償先払いとは、「不幸」が先にやってくる。
「不幸」のあとに「幸せ」と思えることが起きるよというもの

ですから 不幸に遭っても
後から、「良いこと」が起こるので「よかったですね」なんです

神さまがプレゼントを用意して待っているというのです
注意
ただし プレゼントを受け取るには条件がある

「不幸」に対して、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないこと

この5つを言わなければ、
だいたい半年以内に「幸せ」と思える出来事がやってくるようです

さらに 「不幸の度合い」が大きければ大きいほど
それに比例して 幸せも大きくなるとのこと

生涯に1度しか起こらない「不幸」ならば、
遅れて、生涯に1度あるかないかの「幸せ」が来る

ですから 辛いことがあっても
笑顔で淡々としてください

代償先払いの実例

正観さんは「代償先払い」の実例
たくさん見てきたそうです

その中の一つに こんな人がいます

とある女性
愛媛県松山市にて、
正観さんの講演会を 主催していた女性が、

元旦に 転倒して 手首を骨折しました。
すぐ病院に行きましたが、

正月で「専門医がいないから」と
何の処置もされず
「 1週間後にまた来て」と言われ帰りました

再度 病院に行ったら
もう「手のうちよう」がなくなり

そのまま過ごして下さいと言われた
手首が痛む日々を 過ごしたそうです

3月に開かれた講演会にて
その話を聞いた正観さんは 女性に尋ねました

お釈迦さま

骨折してから とんでもないいいことが起きませんでしたか?

なんと 「良いこと」は起こっていた
その女性は俳句をやっていました

松山市は 俳人「正岡子規まさおかしき」の出身ということもあり
俳句が盛んだそうです

俳句雑誌だけで 数種類も発行されているのだとか
その中でも 有名な俳句雑誌に

女性が詠んだ5つの句
すべてが 巻頭に紹介された

その有名雑誌の巻頭を飾るのは
かなりの実力者でも

生涯に一度 あるかないかという快挙で
俳句仲間からも

「あの雑誌で巻頭を飾るなんてすごい
滅多にないことよ おめでとう」
と お祝いの言葉をたくさんもらったそうです

女性は 「これが代償先払いか~」と腑に落ちた瞬間
手首の痛みが半減したそうです

幸・不幸はワンセット

正観さんは言いました
幸と不幸はワンセット

例えば、
山で遭難して、3日間 なにも食べられなかったとする

なんとか里にたどり着き
一杯のおかゆを頂いたとします

それは このうえなく美味しく、
幸せを 感じる食事となるでしょう

でも、毎日、贅沢な食事を1日3食 食べている状態で
一杯のおかゆをもらっても

その価値は わからない
つまり 私たちが幸せを感じるためには、

その前に「不幸」を感じないとわからない
ですから、幸と不幸はワンセット

私たちは ものごとの「前半分」だけを見て
「幸不幸」「良い悪い」と

答えを出してしまいがち です
しかし、後から振り返ってみると

ポイント
「今の状況に至るためには、あの出来事が絶対に必要だった」
「あの体験があったからこそ、今 この状況になって、こんな話を聞いている」
このことに 気がつける

「幸不幸はワンセット」であり
先にやってくるのが不幸ということを聞けば

不幸な目に遭っても
落ち込まなくて済むのかもしれません

人間万事 塞翁が馬

中国の故事成語(教訓)に
人間万事じんかんばんじ 塞翁さいおうが馬という言葉がある

言葉の由来となったエピソードを紹介します
中国の国境のとりで近くに老人が住んでいました

ある日 老人の飼っていた馬が逃げ出し
近所の人々が、老人を慰めに行くと

老人は「これは幸いになる」と言った

しばらくして、逃げた馬が
別のたくさんの馬を連れて戻ってきた

人々が お祝いにいくと
老人は「これは災になる」と言った

しばらくすると、
老人の息子が その馬から落ちて足を骨折

人々がお見舞いに行くと
老人は「これは幸いになる」と言った

やがて戦争が起こりましたが
息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに命が助かった

ポイント
人間万事 塞翁が馬 言葉の意味は

一見、不幸に思えたことが 幸運につながったりする。
幸か不幸かは容易に判断しがたいという意味

ですから目の前の 現象にいちいち
「不幸だ」と嘆かずに淡々と過ごせばよい

不幸といった意味づけをしなければ
出来事や感情に振り回されずに済み
自分がラクだということ

起こることはすべて最高

インドの物語に
ジャナカ王アシュタバクラのお話があります

インドの物語
王様が側近のアシュタバクラに意見を求めると
いつも答えは
「王様 起きたことはすべて最高でございます
起こらなかったことも すべて最高でございます」
と言った

王様は この言葉を聞くと 安心できるので
アシュタバクラをとても可愛がっていました

ある時、王様が指を怪我しました
アシュタバクラに嫉妬する別の大臣が

怪我について アシュタバクラに聞くと
アシュタバクラは
「起きたことはすべて最高です」と答えた

それを聞いた王様は
「怪我が 最高だとは何事だ」と怒り

アシュタバクラを牢屋に入れました

翌日

狩りに出かけた王様は人食い部族に捕らえられた
火あぶりになる寸前で 王様は解放された

理由は、神さまへの捧げ物に
キズがあってはならないという決まりがあったから
指を怪我していたから助かったのです

城に帰った王様はすぐにアシュタバクラを牢屋から出して謝りました

アシュタバクラは言いました
私は牢屋にいれられて良かった

もし、牢屋にいなかったら
私は狩りについていき

ケガもしてないので火あぶりにされていたでしょう
ですから王様
起きたことはすべて最高ございます
ポイント
この物語のように一見 不幸に思えることでも
実は幸せにつながっていることがあります

まさに起こったことはすべて最高なのかもしれません

さらにアシュタバクラは
起こらなかったことも最高と言いました

人によっては
結婚できなかった
夢 敗れた
志望校に入れなかった

という過去の悩みもありますが

起こらなかったことも 起こらなかったがゆえに最高の人生を歩んでいるのかもしれません

蓮の花

お釈迦様の台座ははすの花です
正観さんが10数年 蓮の花を観察してわかったこと

蓮の花は 泥水の中からキレイな花を咲かせます
泥水が濃ければ濃いほど 汚ければ汚いほど

直径20cmもの 大輪の花を咲かせる
反対にキレイな真水だと3cmほどしか咲かない

私たちの人生も同じ
人生の泥とは
つらいこと 悲しいこと 大変なこと

つらく 悲しい思いがなければ
人間は悟ることがない ということを
お釈迦様は伝えたかったらしい

苦悩が多ければ 多いほど人格は磨かれ
より豊かな人生を歩めるようです

最後に

不幸や理不尽が起こった時
「 なんでこんなについてないんだ」
と嘆く人も多いでしょう

ですが、代償先払いで考えると

不幸が起きても「もしかして この後にいいことあるかも」
と立ち直れるかもしれない

理不尽が起きても
「人格が磨かれて より豊かな人生となる」と思えるかもしれない

私たちの人生は 最終的には
(自分にとって)必ず良くなるようになっているらしい

ただそれを感じるには、肯定的な見方・生き方が必要になる
ですから これからは不幸が起こっても

笑顔で淡々過ごしてみてはいかがでしょうか
そうやって笑顔で明るく過ごしている人には
神さまがプレゼントをくださるようです

参考にさせていただいた書籍↓

※魅力的な人々(弘園社)