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子供が学校のレベルについていけない。転校したいという悩み

勉強疲れ イメージ

お釈迦さま

自分の子供が、進学校に通っているけれども、レベル的についていけない時、
子供が「転校したい」「学校を辞めたい」と言ったとします。

たいていの親ならば、「続けたほうが良い」と言うかもしれませんね。
では、小林正観さんは、どのように答えたのか、見ていきましょう。

小林正観さんの話しを引用

小林正観さん著「22世紀への伝言」より抜粋
(引用ここから)
あるとき、こんな相談を受けました。
高校に通う息子が「レベルが高くてついていけない。別の学校に移りたい」と言い出した、どうしたらいいか、というのです。

その高校はかなりの名門で、授業も難しいらしい。
母親は「せっかく入ったのだから」と説得を続けているが、当人が転校を希望しており父親は「転校してもいいじゃないか」との立場。

親の意見が一致せず、困っているとのことでした。

「なぜ希望どおりにしてあげられないのですか」と私。
「今の高校のほうが良い大学に入れるんです」と母親。
「良い大学に入ったらどうなるんですか」
良い会社に入れます」
「良い会社に入ると」
「幸せになれるでしょう。今を頑張ることがこの子の幸せにとって大事なんです」
「今は幸せでなくていいんですか」
「今我慢することで、七年後に幸せが来るじゃありませんか」
「お子さんが七年後まで生きている保証はあるんでしょうか?」
お母さんは、えっ、と小さな声を挙げました。
「この子だけじゃなく、お父さんもお母さんも、七年後に生きているでしょうか?」
「・・・・・」

「その七年の間にどちらかが死んだりしたら、悔いが残りませんか。
あんなに頑張らせないで、その分笑顔で仲良く暮らしたかった、って、、、。
もう一つ、仮に三人とも元気に生きて行くとして、七年後、この息子さんが大学を卒業したとき、甘えるな、休むな、頑張れ頑張れ、と厳しいことしか言わなかった親に、笑顔を向けるでしょうか。
つまり家族として楽しくやっていけるでしょうか
もしかしたら、大学を卒業した途端にお子さんは家を出てしまうかもしれない。

子供を『怠け者にしろ』というのではありません。
親が子の未来や行方を勝手に想定して、その想定どおりに子を押し込めないほうが良いのではないか、ということを言いたいのです。

幸せというのはたくさんの形態を持っており、ひととおりではないと思います。
親が思いこんだ幸せでなく、お子さん自身が望む幸せという観点から考えられないものでしょうか」

お母さんはなにも言いませんでした。
お父さんが「その方向で考えようじゃないか」とお母さんに言い、三人は帰っていきました。

(引用ここまで)

子供の幸せを親の幸せと勘違いしてはいけない

ポイント
親というのは、「この子のためを思って」と、いろんなことを子供に強要しがちですよね。
ですが、正観さんの言う通り、果たしてそれが子供にとって本当に幸せでしょうか?
自立して家を出ていった後に、二度と実家に帰ってこないような、関係になった時に、本当に正しい育て方をしたと言えるでしょうか?

子育ての悩みは、親のエゴ(自我)から始まる

ポイント
すべての悩みでも言えることですが、思い(ああしたい・こうしたい)があるから、悩みが生じます。
反対に、思い(ああしたい・こうしたい)を持たなければ、悩みは生じません。

上記の例では、子供が「転校したい」と言った時に、「いいよ」と言えば、悩みは生じません。

お釈迦さま

「そうしたほうがいい・そうすべきだ」と言っているのではなくて、「そのように考えたら、ラクに生きられますよ」ということを正観さんはいつも教えてくれていました。
実際に、同じような状況で悩んでいる親御さんの参考になりましたら幸いです。