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「才能に恵まれない人」が実は「恵まれている」

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。

お釈迦さま


人の才能
をうらやましがったことはないでしょうか
もしくは、自分の才能の無さを嘆いたことはないでしょうか

この動画を最後まで見ると、考えが変わるかもしれませんよ

僧侶「鉄眼道光」

江戸時代に「鉄眼道光てつげんどうこう」という名前の僧侶がいました

鉄眼道光は仏教において
素晴らしい功績を残しました
その功績とは

京都府宇治市に「黄檗山宝蔵院おうばくざんほうぞういん」という建物がありますが
そこに鉄眼道光が、仏教を広める目的で
仏教の経典を印刷できるように

約6万枚もの版画印刷の木版を
じゅうなな年かけて、手彫りで作成しました

そのうち約4万8千枚は重要文化財となっています

さらに、この木版を作るにあたって必要な費用を
鉄眼道光は、全国行脚に出向き募金にて集めたそうです
その金額は現在の価値で数百億円にも及ぶそうです

諦めなかった鉄眼道光

出版費用を集めている間に、大洪水が起こりました
その際、民を救うために
集めた資金をすべて救済にまわしました

また一から、費用を集めだしたのですが
今度は、飢饉が起こり、このときも同様に民のために
資金をすべて救済にまわしました

それでも諦めずに、再度、資金集めをしたようです
お金を集めるのも大変ですが、

17年間も諦めずに彫り続けたのもすごいことです

ポイント
そんな鉄眼道光ですが、このような話をしていたそうです
「自分には、ほかに何もすることはできないし、
何の取り柄もないという状況を神から与えられたから
こんなバカなことを生涯、続けることができた」

お釈迦さま

この言葉に対し、心学研究家「小林正観さん」は言いました

正観さんの言葉

豊かな才能に恵まれた人ほど、すぐに不平不満を言うことがあります
一方で、愚鈍な人は「感謝」ができます

(そのように考えると)
たくさんの素晴らしい才能を持っている人ほど恵まれていなくて、
「恵まれていない」と思う人ほど、実は「恵まれている」のかもしれません

お釈迦さま

ここまで聞いて「それでも才能を持っているほう方がいい」と思う方がいるかもしれませんので
さらに詳しく、正観さんの考えを言いますと

いくら才能があっても、
人生をすべて自分の思いどおりにすることは誰もできません。
必ず壁にぶつかります

そこで不平不満を言ってしまうと、
また不平不満を言いたくなるような現象が降り注ぎます
つまり、一般的に不幸と呼ばれる現象から抜け出すことはありません

(具体例をいえば、たとえ大金を手に入れたとしても、
まわりが敵だらけだったり、争う心を手放せずにストレスから病気になったりします)

一方で、自分は才能がないと悟った人物がたどり着くのは「感謝」の概念です

この「感謝」という概念は、まわりがみんな味方になり
神様からの支援を受けられてお金に困らなくなります

一般的に幸運と呼ばれる現象が降り注ぎ、また感謝の言葉を言いたくなるような
気持ちが繰り返されます

お釈迦さま

このことから正観さんは「恵まれていない」と思う人ほど
実は「恵まれているのかもしれません」と言ったのです

さらに付け加えるのならば、才能のあるなしにかかわらず
感謝し続けていれば、誰でも恵まれている状況になりえるのだと思います

お釈迦さま

私達は目が見えること・歩けること・食べられること
いくらでも感謝することができると思いますがいかがでしょうか
参考にさせていただいた書籍↓