お釈迦さま
小林正観さんは、おっしゃいます。
「40年ほどの研究の結果、死ぬのは病気でも事故でもなく、すべて寿命。というのが結論になりつつある」と。
「40年ほどの研究の結果、死ぬのは病気でも事故でもなく、すべて寿命。というのが結論になりつつある」と。
お釈迦さま
では、そのような結論にいたった実証的な事例が3つ本の中で紹介されていたので一部引用させていただきます。
もくじ
「小林正観さんの心がすーっと晴れていく言葉」より引用
主婦の友社
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事例1
引用ここから
奥さんは生前、親しい友人たちに、
「今度の12月30日を迎えたくない」
「12月30日が来てほしくない」
と言っていたというのです。
自ら「予知」していたというほかありません。
(引用ここまで)
※当日、自宅のベッドで急な発作に見舞われ亡くなられたようです。
「今度の12月30日を迎えたくない」
「12月30日が来てほしくない」
と言っていたというのです。
自ら「予知」していたというほかありません。
(引用ここまで)
※当日、自宅のベッドで急な発作に見舞われ亡くなられたようです。
事例2
引用ここから
ある方が、交通事故で亡くなったのですが、その亡くなる前日、一緒にお風呂に入ったご主人に向かって、こう言ったそうです。
「もし私に何かあったら、あと、子どもたちのこと、よろしくお願いします」
結婚生活13年目で初めての言葉だったそうです。
4年ほどたった法事の日、長男がこんなことを言ったそうです。
「そういえば、お母さんは亡くなる前の日に、ぼくら2人に向かって、こんなことを言ったんだよね。『お母さんがもし死ぬようなことがあったら、お父さんの言うことをよく聞いて、いい子になってね』って」
(引用ここまで)
「もし私に何かあったら、あと、子どもたちのこと、よろしくお願いします」
結婚生活13年目で初めての言葉だったそうです。
4年ほどたった法事の日、長男がこんなことを言ったそうです。
「そういえば、お母さんは亡くなる前の日に、ぼくら2人に向かって、こんなことを言ったんだよね。『お母さんがもし死ぬようなことがあったら、お父さんの言うことをよく聞いて、いい子になってね』って」
(引用ここまで)
事例3
とある観光バスが、夕方にドライブインに入って行きました。
引用ここから
運転手さんはバスのほうを見て、とても不思議そうにこう言ったのだそうです。
「おかしいなあ。観光バスの運転を長いことやっているが、この時間にお客さんがひとりも降りてこないのは初めてだ」と。
45人もの人が乗っているバスでその時間帯に誰も降りないという経験は運転手さんも初めてだったらしいのです。
そして、こう言いました。
「普通は15分から20分バスを停めておくのだが、誰も降りないので、停めておいてもしょうがないから行きますわ」
そして、「コーヒー、ごちそうさま」とドライブインの人にお礼を言い、バスに向かい、誰かひとりでも降りていたら15分から20分停めていたはずのバスを5分ほどで発車させ、その5分後くらいに崖くずれの下敷きになって、全員死亡、という事故に遭遇したのでした。
ドライブインの人も、「何十年もここでドライブインをしていたが、あの時間帯に誰も降りてこなかったのは初めて」とのこと。
誰一人、トイレにも行かなかった。
缶コーヒーや缶ジュースを買いに行く人もいなかった。
電話をかける人も、お土産を買う人も、誰ひとりいなかったのです。
確かに、深夜のバスなどでは誰も降りないことはあります。
が、午後から夕方にかけてのバスなら、誰かは起きており、バスが停まれば外に出ます。
それにつられて起きる人も多く、「誰も降りない」というのは、運転手さんやドライブインの人が言うように、ほとんどないことだったのでしょう。
(引用ここまで)
「おかしいなあ。観光バスの運転を長いことやっているが、この時間にお客さんがひとりも降りてこないのは初めてだ」と。
45人もの人が乗っているバスでその時間帯に誰も降りないという経験は運転手さんも初めてだったらしいのです。
そして、こう言いました。
「普通は15分から20分バスを停めておくのだが、誰も降りないので、停めておいてもしょうがないから行きますわ」
そして、「コーヒー、ごちそうさま」とドライブインの人にお礼を言い、バスに向かい、誰かひとりでも降りていたら15分から20分停めていたはずのバスを5分ほどで発車させ、その5分後くらいに崖くずれの下敷きになって、全員死亡、という事故に遭遇したのでした。
ドライブインの人も、「何十年もここでドライブインをしていたが、あの時間帯に誰も降りてこなかったのは初めて」とのこと。
誰一人、トイレにも行かなかった。
缶コーヒーや缶ジュースを買いに行く人もいなかった。
電話をかける人も、お土産を買う人も、誰ひとりいなかったのです。
確かに、深夜のバスなどでは誰も降りないことはあります。
が、午後から夕方にかけてのバスなら、誰かは起きており、バスが停まれば外に出ます。
それにつられて起きる人も多く、「誰も降りない」というのは、運転手さんやドライブインの人が言うように、ほとんどないことだったのでしょう。
(引用ここまで)
寿命は決まっているかもしれない
お釈迦さま
いかがでしょうか。
上記の話を聞けば、寿命が決まっているかもしれないと思えますよね。
小林正観さんは、人生のシナリオはすべて決まっているとおっしゃいました。
もちろん、死ぬのもシナリオどおりだそうです。
上記の話を聞けば、寿命が決まっているかもしれないと思えますよね。
小林正観さんは、人生のシナリオはすべて決まっているとおっしゃいました。
もちろん、死ぬのもシナリオどおりだそうです。
寿命が決まっているのだったら努力はいらないのでは?
ポイント
「寿命が決まっているのだったら、健康の努力をしなくてもいいのではないか?」と聞こえてきそうです。おっしゃるとおりで、努力は必要なく、おまかせ(運命どおり)で生きるとラクだと正観さんはおっしゃいます。
(※努力することも否定はされておりません)
すべてシナリオどおりのようで、
この、お話を聞いて「だったらすきな食事を毎日するぞ」と行動される方がいたら、それもすべてシナリオどおりのようです。
寿命が決まっていると思ったらラク
ポイント
もし、あなたの周りに、不慮の事故・病気で亡くなった方がいたとします。たとえば、あなたが運転していて、助手席の人だけ亡くなってしまったなど。
その場合、責任を感じるかもしれませんが、それは寿命(ご自身で設定されたシナリオ)で亡くなったかもしれません。
また、自分が病気で余命を宣告されている場合なども同じです。
そのように「寿命が決まっている」と考えたら、【寿命・生死】に対し、執着が薄れると思いませんか。
執着がなくなれば、悩み・苦しみもなくなるのです。
(注)(そのように考えなさいとは言っていません)
発する言葉もシナリオ通り
ポイント
「なぜ、あの時、あんなことを言ったのだろう」と後悔していることはありませんか?上記の引用からもあるとおり、発する言葉でさえもシナリオ通りなのかもしれません。
だとしたら、過去に他人を傷つけてしまった言葉でさえも、自分で設定してきたシナリオ通り。
そう考えると、後悔してもムダだと思えそうですね。
注意
かといって、好き勝手言っていいのではなく、投げかけたものが返ってきますので、そのような他人を傷つける言葉を、今後は言わなくなるほうが、あなた自身が幸せに生きられるようになりそうです。
小林正観さんは、死を予知したことがある
ポイント
予知と言ったら語弊がありますが、実際に、他人の死を感じたことがあるようです。※感じたといっても、それを本人や周りに知らせることは絶対にしなかったそうです。
どれかの本に載っていましたが、死相のようなものが出ており、数日以内に死ぬようなことがあったらしい。
お釈迦さま
以上、寿命は決まっているかもしれないというテーマについて、正観さんの引用をもとに、私の考えを述べさせていただきました。