小林正観さん「光と闇」の話

動画で紹介していますが、文章で読む場合は
↓を御覧ください

人生では 暗い気持ちになることもあるでしょう

なんとなく 先行きが不安になることもある

今回は、そんな気持ちを解消できる

心学研究家「小林正観さん」のお話を集めました

ぜひ最後まで御覧ください

暗い気持ち

正観さんの懇親会にて
ある人がこのように言った

「正観さんの講演会を聞いた後では、
一瞬、明るく楽しい気分になります

ですが、家に帰って テレビを見た途端
すぐに また暗い気分に戻ります

毎日、暗いニュース 悲しいニュースで
先行き不安になります」

これに対して正観さんは言いました

たしかに ニュースを見ていると
暗い気持ちになることがあります

ニュースというのは
暗い事件を 報道するものですから
仕方ないのかも知れません

しかし、
「これからどうしましょう」と
暗い顔していても

状況が明るくなることはまずありません

むしろみんなが「暗い気分」になればなるほど
その現象を引き寄せる可能性がある

宇宙の原理として
「投げかけたものが返ってくる」
ですから 暗い気分を投げかければ
暗い気分が返ってきます

じゃあ どうすればいいのか?
それが次です

光と闇

最近では「心の闇」という言葉もよく耳にします
恐ろしい事件が起こると
「現代人の心の闇は深い」なんて言ったりする

すると私たちは
「光があって 闇があるのだ」と思ってしまう

ですが正観さん言います

闇は 存在しない

ただ、光がないところを 闇と言うだけで
光があれば、そこはもう闇ではない

わかりやすく数字で言うと

光と闇が 50対50 で存在するのではなく

光が100で 闇は0

闇に独立した力はない
光がない時に、闇が効力を発揮するだけ

ではみんなが 暗い気分・暗い顔になっていたらどうすればいいか

光を投げかければ 明るくなる

仮に、これからの「未来」が闇としましょう
私たちは そこを歩いていく

そこを歩く 「私」が

光を投げかけていれば
そこはもう闇ではありません

光を投げかけるには、

自分がまず明るくなること

明るくなるには

いつも笑顔で

次の7つの言葉を言う

嬉しい・楽しい・幸せ・愛してる・大好き・ありがとう・ツイてる

この言葉を唱えながら 人生を歩んでみてください
その周りは 明るくなるはずです

幽霊の正体見たり枯れ尾花
ということわざがありますが
その意味は、

幽霊と思っていたものが実は枯れススキだったことから
恐れていたものが実は取るに足らないもの という意味

ですから、私たちの不安は
明るい光を投げかければ
恐れるに足らないことかもしれません

暗い人が寄ってくる人

2002年の正月

正観さんに 約800枚の年賀状が届いた

その中に、読んでて楽しくない年賀状が数枚あった

そこに 書かれていた内容は
不況・暗い・先行き不安・嫌な出来事
などが書いてあった

年賀状ですから
昨年の不幸を書いて
「今年は いい年にしたい」という希望で結ばれていました

正観さんはこれについて言います

「自分が不幸だ」「 日本が暗い」 という言葉を使う人は
日頃から その言葉ばかりを使っている

当然 この暗い年賀状は

他の友人にも出したのでしょう

この暗い年賀状を受け取った人は

その人のそばにいって
話をしたいとは思わないかもしれない

おそらく 多くの人から歓迎されるものではない

投げかけたものが返る

その結果として
その人からは 明るい心をを持った人が寄ってこなくなる

反対に 暗い話題に「そうだそうだ」と

盛り上がる人が集まってくる

ですから

自分が「暗い話を聞きたくない」と思うなら
まずは自分から

「暗い話を言わないこと」が重要です

世の中は 自分の取り方次第
明るいと思えば 明るい
楽しいと思えば 楽しい

そう思ってる人たちは

同じ考えの人が寄ってきて

楽しい話しか しないので
いつも楽しい集まりとなる

周りにも光を

光を投げかけるのは
周りの人にも有効です

例えば、家族が

病気
引きこもり

うつ など
つらい思いをしているとします

家族だから 毎日 顔を合わせる

暗い話は聞きたくないし

なんとかしてあげたい と思うでしょう

そんな時は、

自分から光(明るさ)を投げかけると
相手が変わることがある

なぜなら 人間のDNAは99.9%が同じ

自分が明るい波動(周波数)で生きてると

家族もその周波数を受けて

明るくなる

さらに 闇よりも光のほうが強い

光があれば 闇は存在しなくなるようです

家族だけでなく

職場や 友人の前でも有効です

ですから、目の前に落ち込んでいる人や

イライラと不機嫌な人がいたとしても

「私」がにこやかで楽しく生きていると

光のほうが強いので
にこやかな光が広がっていくとのことでした。

光の語源

光という文字の語源は

人から 5方向へ
光線を 発している様子が元になっている

なぜ そうなったのか…

実際に 昔の人が
光った人を 見たのではないか

現代のように、電気がない時代ですから
真っ暗闇の中で、人は光って見えていたらしい

では、どんな人が光って見えたのか

それが 明るい人

正観さんは 実際に

講演会場で 電気を消し

みんなでにっこり笑いながら
「ありがとう」を言うという実験をしました

40秒くらいで

本当に明るくなる体験を何度もしたそうです

また 日頃から肯定的な言葉しか言わない人の

そばにいると
心が 温かくなる

その人は温かい光を発している
これは オーラと言ってもいいし
波動と言ってもいい

明るい方向性で生きている人は

物理的にも光っているみたいです

また仏の画像には よく後光が描かれています

キリスト教などの絵画にも

後光が描かれていることがある

このことから、 世界各国で

人から光が発せられていたのを

観ることができたのではないか

さらに観光という文字があります

現代では、旅行の意味で使われますが

本来は 仏像などから出ている

光を観るという意味で用いられていたそうです

きっと 仏像からも光が発せられていたのでしょう

そうやって仏像の光を観るために

各地の神社仏閣をめぐることから転じて

現在の「観光」になったのでしょう

感謝でも光る

正観さんの友人が
福祉の大学教授から聞いた話です

その大学の実習として、

生徒20人ほどを連れ

インドにある マザーテレサの病院まで行き
看病の実習を行っていました

ボランティアの病院なので

部屋には照明がなく

夜になれば真っ暗になり
日没とともに 実習は終了します

ある女学生のレポートに
大変興味深いことが書いてあった

最終日の夕方
部屋の様子が見えないぐらいに暗くなったので
女学生は帰ろうとした

ところがある少年と目が合い
少年は 食べ物が欲しいと しぐさで訴えた

女学生は 重湯(おかゆ)を作ってあげた

少年は食べ終わると

両手を合わせて「ありがとう」と言った

その瞬間、

照明のない部屋が急に明るくなり
部屋の隅々が見えるようになった

このレポートを読んだ教授は
明るい気持ちになったから
部屋が 明るく見えたのだろう
ぐらいにしか その時は思ってなかった

1年後

教授はまた 別の生徒をつれて
マザー・テレサの病院に実習へ行きました

今度は「人手が足りない」ので
教授も 看護を手伝うことになった

そんなある夕方、

もう部屋の中は

暗くてほとんどわからない状態
部屋を出ようとしたら

近くにいた老人が手招きしているのが
かすかにわかった
「何か食べたい」と訴えているので

重湯をスプーンにのせ 食べさせた

老人はニコッと笑って「ありがとう」と言った

すると光がボーッっと 広がり
部屋の隅々まで かすかに見えるようになった

それまで見えなかった 十数人の患者の様子が見えるようになった

これは「気のせい」ではない

女学生のレポートと 同じ現象を

教授自身も はっきりと体験したのでした

正観さんはこのことから言います

「ありがとう」という感謝の気持ちが 相手に通じ
同じ思いを共有したとき
その人達の空間が ぼーっと光ることがある

この世に生まれてきた意味の一つは「光ること」
そんな光を

一生のうちに何度 灯すことができるか
ある人は何千回
ある人は何万回
そのような光を発した回数が
神様によって「光の履歴書」として刻まれる

私たち一人ひとりが たくさん光を発すると

世の中は 光に満たされるのかもしれません

最後に

さて、暗い気持ち 不安な気持ちに襲われた時

どうすればいいか

明るい7つの言葉を唱えながら

笑顔で淡々と過ごすこと

そうすれば 私から 光が出て 明るくなる

そして 明るい顔をしていると

人生はそこから開けていく

世の中 暗い暗いと嘆くより

自ら光ってその闇照らせ

これは正観さんが自分に言い聞かせていた言葉

もし 暗い気持ちに襲われそうになったら

思い出してみて下さい

それでは 明るい言葉でお別れしましょう

嬉しい・楽しい・幸せ・愛してる・大好き・ありがとう・ついてる

メモ 正観さんは言います

光が出ていると思われる人は「明るい人」

そしてこの「明るい人」というのは =実践をしている人

実践はとくに 「そわか」掃除・笑い・感謝を続けている人

私たち一人ひとりが 実践を続けることにより

世の中は 光に満たされるのかもしれません

注意点としまして

自分自身の心が100%光だとは思わないほうがいいとのこと

なぜなら、自分の心の中にも

光の当たっている部分と、光が当たらず陰になっている部分が必ずある

「私は100%光で 陰はない」と思うことは傲慢とのことでした

参考にさせていただいた書籍↓ (こころの花畑含む)