心学研究家「小林正観さん」は言いました
目の前に起こる出来事について、
感想を言わないこと 評価しないことが
人生をとてもラクにする…
ではそのことがわかるお話を
いくつか紹介します
ちなみに ここで言う感想とは
「悪い感想」のことなので
あらかじめご理解お願いします
「良い感想」は言っても構いません
私たちの人生は
どうも自分で
シナリオを書いてきたらしい
ちなみにこんな研究結果があります
カリフォルニア大学のリベット教授によれば
指を曲げようと思えば、
脳から電気信号が流れ
私たちの指は曲がる
ですが、「指を曲げろ」という電気信号の
0.35秒前 すでに
指を曲げる運動準備信号が
脳から送られていることがわかりました
意識して行動する前に
無意識の準備がなされている
つまり、私たちの行動は
シナリオによって すでに決まっているという見方ができます
正観さんはこんな話もされました
私たちの人生は「全自動”選択”機」です
どういうことかといいますと
人生では 過去の選択を
後悔することもありますが
実は、それを選ぶ以外の選択肢はなかった
全自動で 運ばれていくだけ
この「全自動”選択”機」には
感想機がついない
だから、「ああだ こうだ」という
感想はいらないようです
正観さんは多い時に
年間330回もの講演をされました
とても膨大な数ですが
感想を言わずに
淡々とやっていたといいます
人から聞かれた時は
こう答えていました
「年中講演で 嫌になりませんか
嫌ではありません
じゃあ、好きなんですね
好きでやっているのではありません
好きか 嫌いか どっちなんですか?
頼まれたからやっているのです
正観さんは言います
好き・嫌いで分ける以外に
別の生き方がある
それは 目の前の出来事を
論評・評価しない
感想を言わないという生き方
講演を頼まれたら
予定が空いてたら引き受ける
空いてなければ引き受けない
ただ それだけ
正観さんはこうも言います
人生はドミノ倒しのようなもの
ドミノが一つずつ倒れるように
ただ出来事が過ぎていくだけ
そして、一つ一つのドミノ(出来事)は
すべて同じ大きさ
つまり 出来事によって
あれが大事で これは大事でない
とわけられない
私たちは、
自分にとって
良いか 悪いか
成功か 失敗かを
判断する教育を受けてきました
ですが
ドミノのどれか一つがなかったら
最後まで倒れないわけですから
成功・失敗はわけられない
必ず、すべてのドミノが必要だったことになる
ですから人生は ただ笑顔で
やる羽目になったことを淡々とこなしていく
それだけで いい
だから、一つ一つの出来事に
感想・評価はいらない
そして感想を言わないという生き方は
私たちを ものすごく自由してくれるみたいです
正観さんの講演会の後、
少人数で話をされていたときのこと
30代男性が言いました
私は腎臓病で人工透析をしています
正観さんの話を聞いたり
講演テープを何度も聞き返していますが
なかなか明るい気分には なれません
どうしたらいいでしょうか
正観さんは こう言いました
あなたから見て こちらの女性は
なんの苦労もなく生きているように見えますか?
その女性は明るくて
笑顔が素敵だったので、
男性は答えました
もちろんです
なんの苦しみも
悩みもないように見えます
正観さんもこの女性とは数回しか会ってないので
詳しいことはわからないのですが
正観さんは人相がわかるのでこう言いました
あなたの顔を見ると
単に明るく楽しいというだけでなく
ものすごく大変なものを抱えながら
それを笑顔で
包み隠しているように見えます
なにかを抱えていませんか?
女性は10秒の沈黙の後
突然 わーっと大声で泣き出した
詳しく話を聞いてみると
実は 3つの難病を抱え
10年後には手足が動かなくなると
医師から宣告されていた
にもかかわらず
女性は 笑顔で過ごしていたのです
正観さんのお話を聞くことによって
なんとか笑顔でやってるとのことでした
その1ヶ月後…
男性がまた正観さんの講演会に参加しました
すると今度は、
とても明るい顔をしていた
男性が笑顔になった理由は
自分だけが苦しんでいるのではない
すべての人が
大変な問題を抱えている
それを「大変だ」と言わないで
みんな笑顔で生きている
ということが
本当にわかったのではないか
自分だけが 恵まれていない
不幸だというのは
ピンとが ずれているのではないか
だから 目の前の問題を
「大変だ 大変だ」と言わないこと
いちいち感想を言わないこと
それを笑顔で
受け止めながら生きていくことが
人生のテーマであるようです
私たちは人間関係で悩むことが多いです
しかし正観さんは こうも言いました
夫婦・嫁姑・親子・上司などの
よく 喧嘩する相手は
受け入れるために存在しているのであって
闘って 争って 説得して
自分の思いどおりにするために
存在しているのではありません
なかなか厳しいお言葉ではありますが
自分の心の許容度を
広げてしまえば
目の前に「嫌な相手」はいなくなる
自分が変わると
相手も変わってくる
だから 「うちの家族が ああだこうだ」
「うちの上司が ああだ こうだ」という感想・評価は
いらないのかもしれない
自分がどう生きるかだけのようです
正観さんの本でに
美空ひばりさんのエピソードが出てきますが
美空ひばりさんは、
死ぬまで歌い続けたそうです
晩年は 間質性肺炎のため
肺活量が 通常の3分の1しか出せないのに
最後のステージは 見事に歌いあげた
ステージの直前は
一歩も歩けなかったそうですが
車椅子で運んでもらい
マイクを持って歌い始めると、
何歩でも 歩いたそうです
最後に選んだ曲は
「川の流れのように」
この曲は もともと、シングルではなく
アルバムの中の曲でしたが
周囲の反対を押し切ってまで
ひばりさん自ら
シングルにすることを要望したそうです
このことから正観さんは言います
彼女は「川の流れのように」を
最後に 歌って
死にたかったのではないか
死が近づいているのを知っていたのでしょう
死が近づいていたから
自分の歩いてきた道を
一言一言
本当に万感の思いを込めて歌ったのだと思います
なぜ人間は、
自分が生まれて
自分の意志で 散っていくことを
認めないのでしょうか
人生は、自分で書いてきた シナリオどおり
なので 目の前で起こることに
評価や 感想を言わないで
笑顔で「はい わかりました」と
受け入れていくだけ
病気も 死ぬことさえも
受けれいたら
悩み苦しみはなくなるのです
正観さんは、
「相手の行動」についても
論評しないとラク だと言います
なにか事件があったとき
私たちは
犯人を非難したり 責めたりしますが
「私たち」が犯人に対して
怒りや 憎しみの心を持ち
正義感を振りざすことは
次の 怒り・憎しみを生んでしまうかもしれない
戦争とは、お互いに「自分が正しい」という対立からはじまります
人が怒り 憎しみをぶつける延長線上に
「人を傷つける出来事」が
起こることに気づくべきかもしれません
ですから、
事件の当事者でないのなら、
論評・感想はいらない
大事なのは「なにを学ぶか」
その事件を見たことによって
私たち一人ひとりが心に誓うだけでいい
自分は絶対に人を傷つけない
自分は絶対に 罪を犯さない
大事なのは「なにを学ぶか」だそうです
冒頭でも言いましたが
目の前に起こる出来事に
感想を言わない 評価しないことが
人生をとてもラクにする
そして 目の前に起こる出来事を
すべて 笑顔で
受け止められるようになることが
シナリオを書いたことの意味だそうです
さらに 文句を言わず
笑顔で淡々と過ごす人を
周りの人や、神さまが味方につき
人生がスムーズに流れ始める
