神の承諾のないことは起こらない(小林正観さん)


心学研究家「小林正観さん」は
神の承諾のないことは起きない】と言われました

つまりこの世で起こる現象は
すべて神の承諾のもとに起こっている

そう聞いて不思議に思うのは
ひどい事件も 神さまは承諾したの?ということになりますが

もともと宇宙には 「幸も不幸も存在しない」というのが根幹としてあります
その点も交えながら今回は、「神の承諾のないことは起きない」について
深堀りしていきたいと思います

正観さんが100%正しいというわけではないので
参考程度に聞いてください


人類の進歩

正観さんは言います
戦争・疫病・犯罪・災害
いわゆる不幸とか悲劇というものが
人類の文明進歩の足がかりになっている

なぜなら
それらを克服するための方法を
みんなで考え始めるから

災害が起こったら
それを克服するための方法を考える

疫病が発生したが
ゆえに薬が開発されてきた

戦争が起こったが
ゆえに条約が結ばれてきた

犯罪が起こったが
新しい法律ができたり
防犯に意識が高まる

神さまは進化が必要な時に
現象を見せているのかもしれない

逆に 今まで地球で起こった
戦争・疫病・犯罪・災害が
いっせいに同時に起こったらどうなるか…
地球は滅亡するかもしれません

いっせいには起こっていない…
今、人類は生きている…
ということは
神の承諾のもとに 最低限 起きてきたと
言ってもいいのかもしれません

罪を憎んで人を憎まないため

人間の感情的に
ひどい事件は確かに起こっています

じゃあ、なぜ神さまはそのような
事件を承諾したのか

それは
罪を憎んで人を憎まず」という言葉を理解するため

私たちは、
正義感・使命感をたくさん持っている人間ほど
人を恨み・憎み、争いの心を持ってしまう
それは正義なのでしょうか
危ないのではないでしょうか

その正義感によって
次の戦争が生まれるかもしれない
戦争とは「自分が正しい」と思う人同士で生まれることに
早く気づいたほうがいいのかもしれない

自分が正しいと思い
SNSで誹謗中傷した結果、
相手が自殺することだってあるのです
それは 正しいことをしたとは言えないでしょう

そうではなく
ひどい事件を見た時に、
私たち一人ひとりが
「自分は絶対にしない」
「自分は絶対に人を傷つけない」

ということを
今一度、認識させるためだそうです

事情はわからない

ひどい事件が
ニュースでは流れてきます

ですが、本当の事情を知ると
殺人犯が 過去に
被害者からひどい仕打ちを受けていた
というケースも少なくありません

私たちは、当人たちの事情を
100%はわからないのです

わからないのだったら、
「こいつはひどいことをした」
と糾弾したり、
決めつけることはできない
すべての事情を知っているのは
神さまだけなのです

ですから「この事件がひどいじゃないか」
「それについて説明しろ」というのは
あまり意味がないことになります

こんなお話があります
ある人がアフリカへ
飢餓の子どもたちを救いにいきました

数千万の大金と 食料を持って

しかし、現場を見て驚きました
餓死する2,3日前の子どもであっても
笑顔で明るく生きていたそうです


自分がその子どもたちに
何かをしてあげるのはいい
でもそれを「不幸だ・悲劇だ」と
言葉で決めつけるのは意味がないのかもしれない

事情を100%知っているのは神さまだけだそうです


悪魔の罠


とある子どもへの傷害事件を聞いて
「こんなひどいことをした事件があるじゃないか」

言った人がいました。

これも先程と同じ

自分が人に 「敵意・憎しみ」を持った結果
犯人と同レベルに成り下がってしまっている

自分が正しいと思ったからと言って何を言ってもいいわけではない
人を糾弾してもいいわけではない
自分が正しいと思った先に戦争が起こる

すべて神の承諾があって起こっている

悲惨だ 悲惨だといいたい気持ちはわかるが
そうではなく、自分がどう生きるかを
もう一度見つめ直す


お釈迦様も答えない

お釈迦様は
人の悩みについて
懇切丁寧に答えたそうです

ですが、「あの事件が不幸ではないか」という相談
つまり、「自分とは関係ないこと」や
自分が本当に悩んでないもにについては
答えなかったそうです

正観さんもしたくないと著書で言いました。
単に 社会現象を論評しているだけだから
論評したい人はすればいい
どう生きるかだけのようです。

人間はろくでもない


人間はみな、たいしたものではなく
ろくでもない

お釈迦様もそれをわかっていた
人間はどろどろでどうしようもないものである
その泥水の中からしからしか

美しい蓮の花は咲いてこないので
お釈迦様の台座にも蓮の花が選ばれた

人が許せない人は悟りからは遠いかもしれない
人が許せないと戦いと憎しみと怒りになるから

人間はろくでもないと認識するひとほど
悟りに近いようです。

死の事件が起こった時

私たちが怒りを覚える事件の多くは
死者が出る事件・事故だと思います

しかし 正観さんは言います

神さまは、
そういう事件を承諾することで
私たちに 今目の前にいる人は
もしかすると明日 会えないかもしれないと
教えてくれているのかもしれない

つまり、今目の前にいる人を
最大限 大事にしなさいということを
神さまは問いかけているのではないか

ですから、死の事件が起こった時
感情で悲しんでもいいのですが

悲しみだけで終わらないこと
今度、自分の家族・友人・知人に出会った時に
その人との人間関係を
最大限 大事にしておくこと だそうです

人知では及ばない



こんな話を聞いたことがあります
日本に原爆が落ちたのは地球を救うため

どういうことかと言いますと
もし日本 以外に 落ちていたら…

A国やB国に落ちていたら
その国は、やり返す

何年後かに 自国の力が整ったら報復する

しかし、日本人は絶対やり返さない

それが神さまにはわかっていたのではないか

科学が日々進歩していく中
核兵器の威力はさらに強力になっていく
そうなってから 核戦争が本格化したら
地球が滅ぶかもしれない

「日本にも落ちなかったほうがいいのでは?」
と思うかもしれませんが
それだと核兵器の脅威がわからない
人間は未熟がゆえに どこかで使うことになる

見方を変えれば
地球を救うために起こったのかもしれない

私たちにできることは
未来で 核戦争を起こさないこと

そして、不本意ながら犠牲となられた方々
地球を救っていただいた方々に
手を合わせて感謝することではないでしょうか

私たちは、その方々のおかげで
今 平和に暮らせている

神の承諾のないことは起きない
神さまは
何百年・何千年先も見据えているのではないでしょうか

過去を後悔しないため


ときに正観さんは
過去を後悔している人に対しても
「神の承諾のないことは起きない」と言いました
それは過去を後悔しないため

仮に 詐欺に騙されて
500万を失った女性がいたとします

その女性は、
犯人はもちろん許せないのですが
騙された自分も許せないと
ひどく落ちこんでしまいました

彼女は悔み続ける限り
残り40年の人生を
一生苦しみ続けることになる

ですが、人生は自分で書いてきた シナリオどおり

幸も不幸もなく
現象はすべてゼロ

見方を変えると
不幸ではなくなりますよ

大丈夫
今から 投げかけたものが返りますよ

ということを知れば

心が救われるかもしれない

お金が 人生のすべてではないと
悟れるかもしれない

悟ってしまえば、
残りの人生は
ずっと幸せでいられるわけですから

神の承諾のないことは起きない


同調の危険性


ニュースで報道された事件に
「ひどい事件だ 許せない」と
論評する人がいます

しかし、日本では
年間死亡者数が160万人を超えました
事故や自殺も含まれています

正観さんは言います
私たちはニュースで報道された事件だけを
「悲惨だ 悲惨だ」と騒いでいる

毎年、大勢の人が亡くなっているのに、
そこには無関心で

コメンテーターの「ひどい事件が起こりました」の言葉に
同調してしまいっているのかもしれない

テレビは視聴率をとるために
コメンテーターを用意しています
もし、淡々とニュースだけを伝えるなら
そこまで感情的にならないのかもしれません

最後に


今回は正観さんの本に登場する
「神の承諾のないことは起こらない」についてまとめてみました

冒頭でも言いましたが 正観さんの考えが100%正しいわけではありません

また、このように生きて下さいと
お願いしているわけでもありません

ただ「こんな考えがありますよ~」と提示しているだけであり、
どう生きるかは みなさんの自由です。

みなさんの見方が広がってくだされば幸いです

参考にさせていただいた書籍↓