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人生は「修業の場」ではない?!

滝行

お釈迦さま

スピリチュアルの話の中には、「この世は修行の場である」というようなことを耳にします。

お釈迦さま

たしかに、魂を向上させるために「この世」があるとすれば、「この世は修行の場である」ということもいえそうですね。
がしかし、小林正観さんの意見は違いました。

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、画像による解説です。

「神様に好かれる話」より一部引用

引用ここから
とある方が正観さんに、「この世では、我慢や忍耐をして生きていかなければならないのですね。それが、この世は修行という意味なのですね」と質問しました。

すると正観さんは、「そのようにとらえてもかまいませんが、自分の捉え方によって変わる。すべてゼロです」と答えました。
(引用ここまで)

お釈迦さま

正観さんは続けて、例をあげるために、物事の捉え方を3段階にわけて説明しました。

物事の捉え方3段階とは

ポイント
1:この世が修行の場である
2:実はこの世は、喜びの場なのではないか
3:この世は修行の場でもなく、喜びや幸せの場でもなく、実は感謝の場である

お釈迦さま

では、この3つをさらに詳しく考察していきましょう。

1:この世が修行の場である

この世が魂の修行の場として、いろいろな困難を見せている。
そう考えることによって、気持ちがラクになるのなら、そう考えても構わないとのことです。

ですが、正観さんは「この世は修行の場として設定してあるわけではない」とおっしゃいました。
また、この捉え方では、困難を無理に我慢している状態ともいえますね。

我慢よりも、もっとラクになる捉え方もあるはずです。

2:実はこの世は喜びの場なのではないか

この捉え方は、(正観さんいわく)100点満点中の、66点か67点のようです。
例えば不幸があったとき、それのおかげで自分の魂が成長できたと思えば、

それが喜びや幸せと、捉えることもできますね。
この捉え方も充分に素晴らしいと思います。

がしかし、さらに上の捉え方が。次の第3段階です。

3:この世は修行の場でもなく、喜びや幸せの場でもなく、実は感謝の場である

この捉え方は、(正観さんいわく)100点満点中の、99点か100点のようです。
例えば不幸があったとき、それを乗り越えさらに、違う人生が展開していった。

その不幸がなければ、いまの自分(違う人生)は、存在していなかった。
つまりは、その不幸が感謝であったと捉えることもできるというのです。

不幸を感謝と捉えることができれば、不幸は存在しなくなるも同然ですね。

まとめ

ポイント
正観さんは決して、「このように捉えなさい」と言ったわけではなく、
「このように捉えたほうがいいですよ」と、推奨したわけでもありません。

3つのどの捉え方でも、自分がラクになれるのならそれで良いですよと、教えてくださいました。
大事なことは、「現象はゼロ」ということ。

色がついていない状態です。

お釈迦さま

そこに、自分の色の付け方によって、捉え方が変わり、
その結果として、運命が変わったりラクに生きることができるというお話でした。