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吉田松陰から学ぶ「人間関係の極意」

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。

吉田松陰とは


1830年9月20日生まれ
江戸時代の思想家・教育者として知られています

幼少期に英才教育を受け、秀才と呼ばれるようになり
9歳のときに学校の先生(見習い)になり
10歳では大人の前で講義をするほど優秀な子どもだったようです

時は流れ

ペリー来航を見た吉田松陰(24歳)は、
西洋の先進文明に心を打たれ外国留学を決意。
翌年の再来航のときに、密航を試み、ペリー艦隊へ乗り込みますが拒否されました

松陰はあきらめて、江戸幕府に「海外渡航の罪」を自首します
犯罪人となった松陰は、牢獄に入れられました

牢獄内にて

何十人かの犯罪人と一緒にいたわけですが
吉田松陰(当時25歳)はこんな提案をしたようです

「それぞれに 皆さん持ち味がある
その持ち味をそれぞれに披露し合おう」


ある者は俳句が得意だったので
その人を上座に据えて
「先生、先生」と呼びながら教わったそうです

が上手な人がいると
その人を先生と呼び、皆で書を学びました
松陰自身は儒教(孔子を始祖とする思想)を述べました

感激の涙

この獄中での松陰の提案は
罪人たちをとても感激させたそうです

ポイント
ある者は涙を流し
「自分は幼い頃から『お前はこの世に生まれなければよかった
この村にいなければよかった

早くこの村から出ていってくれ。この世にいないでくれ』
というようなことをずっと言われ続けてきた

だが、自分が先生と呼ばれるようなことが
一生涯あるとは思わなかった」
と言って感激の涙を流したといいます

松陰のすごいところ

この話からわかるとおり
松陰は人物に優劣をつけたり、順位をつけたりして
それを競わせるとか評価をするとか
そういう人ではなかったのです

</p> <p>正観さんは言いました
松陰は優劣をつけるのではなくて
人それぞれの良さを見出して、それをその人に伝えてあげた
松陰は人を見る目がとても優しかったのではないでしょうか」と。

出所後

翌年には、牢獄から出所を許されました

その後、松陰が講師を努めた松下村塾からは
素晴らしい人材がたくさん輩出されたようです

例えば、明治維新政府の初代総理大臣になった伊藤博文
その一人です。

松陰のやり方を人間関係に活かす

前述した松陰のやり方は子育てに当てはまります

他人の子と、自分の子を比べなければ
親の悩みは生じません
子どもそれぞれの良さを見出してみてはどうでしょうか


上司・部下・同僚
にも当てはまります
「上司が使えない…」
「あいつは仕事ができない…」という悩みも生じません
人それぞれの良さを見出してみてはどうでしょうか

夫婦
にも当てはまります
「妻がどんくさい」
「夫の給料が少ない」という悩みも生じません
人それぞれの良さを見出してみてはいかがでしょうか

いかがでしょうか

松陰の考えは、正観さんの言う「きくあ」です
「きくあ」とは競わない・比べない・争わない

すべての人間関係において「きくあ」やめて
松陰のように、人それぞれの良さを見出し伝えてあげる…
そうすると、人間関係が円滑になり
とても楽しくてラクな人生が待っているように思います

ぜひ、参考にしてみてくださいね

参考にさせていただいた書籍↓