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小林正観さん「お釈迦様の話」まとめ

ブッダガヤ

お釈迦さま

こちらでは、小林正観さんの著書より、お釈迦様にまつわる話をまとめてみました。

「ありがとうの奇跡」より引用

お釈迦様が弟子たちに次のようなたとえ話をしたことがあるそうです。
20歳位の若い僧侶が、滝に打たれたり、山にこもりながら、熱心に修行をしていました。
その様子を見ていた一人の女性(数ヶ月前に夫をなくした未亡人)が、彼にこのような提案をしました。
「お坊さま。うちは庭が広いので、草庵(草ぶきの小さな家)を一つ建てさせていただきます。そこで修行されたらいかがですか?」
若い僧侶は申し出を受け入れ、「ありがとうございます。では、そうさせていただきます」と喜びました。
未亡人には5歳の娘がいたのですが、15年間、娘が僧侶に食事を届け続けました。
娘が20歳になったある満月の夜に、未亡人は娘にこう言いました。
「もしお前があの僧侶に引かれているなら、今夜、あの人に打ち上げてご覧なさい」
そして、娘は僧侶に気持ちを伝えました。
しかし、僧侶はこう答えました。
「清らかな川の流れに泥の1粒、汚れた葉っぱ1枚が乗っかったところで、清らかな水の流れは変わらない」
すなわち、この僧侶は、「私の清らかな心は、女性の存在には惑わされない。どんなに好きだと言われても、修行を変えるつもりはない」と断ったのです。
涙を流す娘を見て、母親は烈火のごとく怒りました。
そして、草庵を焼き払い、僧侶を追い出したそうです。
このたとえ話を引き合いにお釈迦様が論及したのは、「未亡人の荒れ狂った行為に対してではありません。
修行中の僧侶の未熟さに対してです。
お釈迦様は、「なぜ、この僧侶は、娘の行為を受け入れなかったのだ。私達が仏法の修業をするのは、周りの人を一人でも多く幸せにするためだ。
この僧侶は、一体誰を幸せにしたのか。
この僧侶がすべきことは、この人達の愛情と、優しさと、恩義を受け入れて、この人達を幸せにしてあげることだった。
娘の好意を受け入れ、結婚して、この母親に親孝行をしたら、みんなが幸せな人生を送ることができたであろう、、、」
と言ったそうです。15年間修行をしても、「誰も幸せにしていないなら、何もしていないのと同じである」とお釈迦様は考えたのでしょう。

仏法の戒律は女性を近づけてはいけない、女性に触れてはいけない、とは必ずしも言っていないと思います。
もし、本当に好きだったら、「じゃあ、私は仏教を捨てます」と還俗してこの娘を嫁にめとり、夫婦として生きればいい。
娘や母親の行為を受け入れ、「喜ばれる存在」になればいい。
それこそが、仏法を学んだ人の悟りだと思います。
どんなに立派なことを知っていても、社会に対して投げかけも働きかけもしない。
誰一人として幸せにしない。
ただ、自分のワガママだけで立派なことを考えていた。
そのワガママの結果として、娘は悲嘆の涙に暮れ、母親は激怒し、自分は住まいを失って流浪の身になったのです。
これは、お釈迦様の教えの深さが分かる話です。
いちばん大切なことは、学ぶことではありません。
喜ばれる存在になるために、実践することなのです。

菩提樹ぼだいじゅの下で瞑想に入った、お釈迦様は、12月8日の日の出に、「わかった、私は悟った」と叫んだそうです。
それからお釈迦様は、かつて一緒に修行をしていた5人の仲間に会いに行きました。
修行仲間たちは、「苦行を捨てた釈迦は、堕落した」と軽蔑していたのですが、お釈迦様の話を聞き終わると、全員が「今、この瞬間から、私達はあなたを師匠として一生ついていきます」と態度を改めたと言われています。お釈迦様は、修行仲間にどのような話をしたのでしょうか?
この時、話した内容は縁起の法と呼ばれています。
「縁りて起こる」
縁起の法というのは、「人は、自分の人生を自分で作れると思っているから、悩み苦しむ。人生は自分の思いによって出来上がっているのではなく神仏や周りの人々(縁)によって成り立っている」という法則です。
すると、私が自分の人生に対してできることは、ただひたすらありがとうを行って感謝することだけ、ということになります。
自分を取り巻く全てものにありがとうを言えるようになれば、8者すべてが味方になってくれるようです。
(8者とは神様・仏様・精霊・守護霊・友人・知人・家族・自分の身体)

「人生は4つのおつきあい」より引用

お釈迦様の教えの中に、托鉢たくはつという素晴らしいものがあります。
(托鉢とは、僧侶が人々から、お金や食べ物をいただくこと)
お釈迦様が托鉢ということを考えついた時、初めて托鉢に出る弟子たちにこう言いました。
「決してお金持ちの家を回ってはいけない。貧しい家々を回って、托鉢をしなさい」
弟子たちは、お釈迦様がいい間違えたのだと思って、聞き直しました。
「お師匠様は今、いい間違えをされたのですよね。本当は貧しい家々を回ってはいけない、お金持ちの家を回って托鉢をしなさいということころを間違えて言われたのですよね。
すると、お釈迦様は言いました。
「いい間違えたのではない。お金持ちの家ではなく、貧しい家を回りなさい」
「なぜですか?」と不思議そうに尋ねる弟子たちに向かって、お釈迦様は次のような教えを説いた。
「貧しい人たちというのは、これまで自分が貧しいからと人に施しをしてこなかった人たちである。だからこそ、彼らは貧しさの中で苦しんでいるのだ。私達の役割とは、そういう人たちに喜捨をさせてあげることによって、その苦しみから救ってあげることにある。だから、貧しい人たちの家を回りなさい。

お釈迦さまは、人がこの世に生まれ、生きていくときの「苦」は8つに分かれると説きました。
それを四苦八苦といいます。 四苦とは、「生・老・病・死」の4つです。
「生」とは、生まれるときの「苦」です。誰もが生まれてくるとき、親を選べません、時代を選べません、また男女の差や、容姿も選んでくることができません。

「老」とは老いること。本人が希望しなくても、必ずみな年老いていきます。
ある日、何気なく鏡を見ると、えらく老いた自分の顔を見てショックを受けたりします(これをオイルショックといいます)。

「病」とは、病むこと。誰もが自ら希望していないのに、あるとき突然病気になったりします。
「死」とは、死ぬこと。誰もが希望していないのに、最後は死を迎える。

 さらに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の4つを合わせて、「八苦」といいました。
「愛別離苦」とは、愛する人がいてもいつかは必ず別れなければならないこと。

「怨憎会苦」とは、恨み、憎んでいる人と会わなければならないこと。
「求不得苦」とは、求めているものが手に入らないこと。
「五蘊盛苦」とは、五蘊──「色・受・想・行・識」という人間の感覚レベルが過敏であること。 

お釈迦さまは、人間がこの世に生まれ、生きるときの「苦」とはこの8種類しかないと説きました。

「で、何が問題なんですか」より引用

釈迦の十大弟子の中にアーナンダという方がいました。
アーナンダというのは釈迦の従弟で、釈迦が50歳の解き、20歳だったんですね。
大変ハンサムで心の優しい男だったそうです。
悩める人々は、お釈迦様に直接相談に行くには心引けるけれども、アーナンダさまはすごく優しくて、心穏やかな人だから聞いてくれるに違いない、ということで、お釈迦様の代わりに色々な人の悩み、苦しみの相談事を受けていたんです。
でも、心優しいアーナンダは、その人の気持ち、その人の心になってしまって、いつも人の悩み、苦しみをずっと抱えてきたがゆえに30年間、釈迦のカバン持ちをしていたもかかわらず、ついに悟ることがなかったんですね。
で、2月15日にお釈迦様はキノコにあたって死にそうになっていた時、アーナンダが枕元に座ってハラハラと涙を流していたんです。
すると、お釈迦様が目を開けて「アーナンダよ、なぜ泣いているのか」と尋ねた。
「だって私の大事なお師匠様が死んでしまうかもしれないのに、これが悲しくて泣かずにおられましょうか」。
「アーナンダよ、そなたはいったい私のもとで何年修行してきたのだ。」
「30年ほどでございます」。
「それなら、私が今まで何を言ってきたかわかるであろう。私の肉体に依存してはならない。私の肉体や像を拝んだり依存してはならない」って言ったんです。
アーナンダは「あー、そうでございました。30年間お師匠様のところにいて、ずっと教えられてきたのに私はお師匠様の肉体の存在に依存しておりました。私が未熟でございました」。
そのとき、釈迦はニッコリ笑って「アーナンダよ、そなたはやっとわかったみたいだな」と言って「ナーム」と一言残して死んでいったらしい。
30年間付き従ってきて、やっと最後の最後、悟ったみたいだと言ってくれたので、アーナンダは多聞第一尊者たもんだいいちそんじゃ(たくさんの教えを聞いた第一の尊者)とであると言われています。

「神さまが教えてくれた幸福論」より引用

2500年前、お釈迦様が亡くなる前、こんな言葉を遺されたそうです。
私の教えは1000年の間は正しく誤解されないで伝わる。これが正法の時代。
そして1000年から2000年の間はよく似た教えが伝わる。これが像法の時代。
2000年を過ぎた頃からは誤解されて正しく伝わらなくなる。これが末法の世という。
ここまでは教科書に載っているのでご存知でしょう。
だけど、実はそこから先がまだあって、口伝えのため一部の人間にしか伝わらなかったようです。
私はそれを22,3の頃、ある方から教えていただいたんです。
末法の世からさらに500年ほどすると、つまり、釈迦の死後2500年ほどすると、ということですが、インドのはるか当方にジャブトーバーという国があって、その国は夜でも昼のように明るく、道は平坦で、裸足で歩いても傷つかず、遠くにいても、近くにいるように話ができる。
その国の人々は、競うこと、比べること、争うこと、戦うことがとてもキライな民族で、その人達の平和な思想と相まって、自分の教えが2500年ぶりに正しく解釈され直す。
そして1000年単位の平和王国が始まるだろう、と。
お釈迦様はそう言って亡くなったそうなんです。
このジャブトーバーというのは、明らかに日本のことを言っていると思うんです。
そしてお釈迦様が亡くなって2500年後というと、ちょうど今でしょう。

「魅力的な人々」より引用

私は宗教者ではありませんから信じる宗教というものは持ちませんが、釈迦という人は、人間の弱さ・悲しさを根源的にわかっていたところがすごいところで、物事を優しく見る目が根底にあると思います。
釈迦の言葉で、
「ウソのつけない人になってはいけない」
というものがあります。
この言葉の背後に感じられるのは、釈迦の温かい眼差し。
時として、優しさは真実にまさる。
だから、ときにはウソがつけるような優しい人になることも必要ですよ、と釈迦は弟子たちに教えたのでしょう。

「ありがとうの神様」より引用

お釈迦さまの言葉に「人物をつくる4条件」というものがあります。
その4条件とは「貧乏」「読書」「感動」そして、「母親の感化(母性)」です。