お釈迦さま
このページでは、小林正観さんの引用をもとに、
・憑依霊に取り憑かれない方法
・憑依霊の操り方
この2点を紹介します。
・憑依霊に取り憑かれない方法
・憑依霊の操り方
この2点を紹介します。
憑依霊に取り憑かれない方法
しあわせの宇宙構造より引用
基本的に、その人間がいろいろなことに対する執着
~食べ物に対する執着、生きていることに対する執着、病気をしたくない、事故に遭いたくない、家族だけは無事でいてほしいなどエゴを中心とした我に対する執着~
を持っていると、多くの憑依霊を呼び寄せることになります。
執着=接着剤と思ってください。
執着を持っているということは、接着剤で自分の体を取り巻いているということです。
体はベトベトで、その結果、あちこちの憑依霊や浮遊霊を多くくっつけるのです。
(引用ここまで)
~食べ物に対する執着、生きていることに対する執着、病気をしたくない、事故に遭いたくない、家族だけは無事でいてほしいなどエゴを中心とした我に対する執着~
を持っていると、多くの憑依霊を呼び寄せることになります。
執着=接着剤と思ってください。
執着を持っているということは、接着剤で自分の体を取り巻いているということです。
体はベトベトで、その結果、あちこちの憑依霊や浮遊霊を多くくっつけるのです。
(引用ここまで)
執着を捨てるには
ポイント
執着があれば憑依霊・浮遊霊を呼び寄せてしまうとのことです。執着を捨てるには、人生をおまかせで生きることです。
「ああなってほしい」「こうなってほしい」と、願望を持つのではなく
どのような展開になっても、すべて受け入れる姿勢です。
お釈迦さま
続いて、憑依霊を操る方法です。
※操るというと語弊があるかもしれませんが参考までに。
※操るというと語弊があるかもしれませんが参考までに。
憑依霊の操り方
しあわせの宇宙構造より引用
仮に何かに取り憑かれた(憑依された)としましょう。そういうとき、なぜか体が重たくなって、「憑かれた、憑かれた」ということがありますが、それは「被害者」の言葉なわけです。
憑依した霊からすると、自分は何気なくついたつもりでも、「憑かれた、憑かれた」といわれると、何かこの人に被害者的なものを与えなくてはいけないのではないか、と思うらしい。
自分は歓迎されておらず、またこの人は被害者であるということから、何か悪さをしなくてはいけないのではないかと思い、そういう対応をすることになるようです。
逆に、同じ語源ですが、「憑かれた」ではなく「ついてる」という言葉があります。
これは憑依した霊に対して、非常に肯定的な意味を持ちます。
霊に「ついてる、ついてる」と言葉をかけると、霊はその言葉から肯定的に喜ばれていると感じ、そのように振る舞い、またそのようにその人にかかわっていかなければいけない、というふうに思うようです。
(引用ここまで)
「ついてる」の信ぴょう性
ポイント
言葉には力があるといいますよね。(言霊)また、普段、口にする言葉によって、運勢が変わるのもうなずけます。
そのように考えると、「ついてる」(ラッキーの意味)という言葉を日頃から言っていると、憑依霊も味方(そのような振る舞い)してくれるというお話は、信ぴょう性があるように感じますね。
このお話が本当かどうかは、わかりませんが、損得勘定として「ついてる」という言葉を口癖にしたほうがいいかもしれません。
実際に、1993年以来、毎年、全国高額納税者番付(総合)10位以内にただひとり連続ランクインし、2003年には累計納税額で日本一になった斎藤一人さんも「ついてる」という言葉を推奨しています。
「疲れた」もよくない
ポイント
補足ですが、「疲れた」という言葉も、憑依霊が「憑かれた」と勘違いするというお話を正観さんの講演テープで聞いたことがあります。みなさんも「疲れた、疲れた」と口にしたら、どっと体が重たくなる経験はありませんか?
ですので、「疲れた」と言いそうになったら、「つ」の段階で踏ん張って「ついてる、ついてる」と言い直しましょうとのことです(^o^)