人の失敗を許せないのは、「自分が正しい」と思い込んでいるからです。
ですが、「自分が正しい」と言うのは、ありえないことです。
人間は、誰でも失敗をするものです。
だからこそ、自分の判断で「お前は間違っている=自分が正しい」と思う事自体がもはや間違いです。
例えばの話
朝9時に始まる会社があるとします。
ある社員が30分遅刻してきました。
もし、あなたが、そこの社長なら、その社員を起こるでしょうか。
「怒る」「注意する」と言う人がほとんどだと思います。
メモ
実は、その遅刻した社員は、前日に、自分の親が倒れて、救急車で運ばれていた。
瀕死の状態なので、寝ずに一晩付きっきりだった。
朝に、夫や子供の朝ごはんとお弁当を作った。
本人は、一睡もしない状態で、息を切らせながら、やっと会社に到着したのが、9:30だったかもしれません。
これだと、遅れた事というのは、いけないと決められないのではないでしょうか。
「いけない!間違い!」と誰が決めるのでしょうか。
メモ
それは、あなたが決めているだけにすぎないのです。「こうあるべきだ」という正義感を振り回して、周りを傷つけていることがあります。
あなたが「こうあるべきだ」と思って、生きるのは自由です。
「絶対に遅刻はいけない」と思って、遅刻をせずに生きるのは、自由です。
でも、他人に対して「こうあるべきだ」と、あなたの価値観を押し付けるのは違います。
もし、遅刻した理由を聞いてから、怒る怒らないを決めるという考えを持ったとします。
でも、遅刻した人が、理由を話さなかったらどうするのでしょう。
私たちは、人の事情などほとんどわかっていません。
それなのに、「自分の判断」で、すぐに「いけない」「間違っている」と怒りを覚えてしまうのです。
もし、あなたが、なにか失敗を起こしたとします。
失敗したあなたに対して、誰かから、避難されたらどうでしょう。
「理由も知らないで、、、」と怒りを覚えませんか?
ですから、自分の価値観で人を判断するのはやめましょう。
判断しなければ、「許せない」という思いはなくなるはずです。
不完全な生き物ゆえに
お釈迦さま
人間は、誰しも失敗をする不完全な生き物です。
誰かの失敗をあげつらうのではなくて、
「失敗を怒らない」という完全に近い人格者を目指してはいかがでしょうか。
そうすれば、あなた自身が楽に生きれるようになります。
誰かの失敗をあげつらうのではなくて、
「失敗を怒らない」という完全に近い人格者を目指してはいかがでしょうか。
そうすれば、あなた自身が楽に生きれるようになります。