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悲惨な【出来事・ニュース】に心が痛むとき

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これらを目の当たりにした時、心がひどく痛んでしまう場合があります。

しかし、このような悲惨な出来事に対して、小林正観さんは言います。

メモ
世の中に「不幸」「つらい」「悲しい」という”現象”はない。

そういう”現象”があるわけではなくて、「そう感じる自分」がいるだけ。

これに対し、多くの方が次のように質問します。

メモ
「毎日、毎日、ニュースでは悲惨な事件が起きているではありませんか!?殺害・強盗・傷害など。それでも、このような出来事は、不幸ではないのですか?」

小林正観さんは、いつも同じように答えます。

メモ
「悲惨な出来事」と言った時点で、すでにあなたの、事件に対する評価が入っていますよね。
「悲惨な」という形容は、すでにその出来事を「許せない」「受け入れられない」ということを前提とした形容になっています。

そして、心のなかで、「こんな悲惨なことをする人は絶対に許せない。なぜ、そんな許されないことが起きるのか。」という感情が芽生えています。
中には、「そんなひどいことをしたやつは、死刑にすべきだ」と思う人もいるかもしれません。

さらに小林正観さんは、このように考えます。

メモ
「何十年もかけて、ありとあらゆる”現象”を見つめてきた結果、神様という存在がいるという結論にたどり着いた。
多くの人が言う「悲惨な出来事」は、すべて「神様の承諾の下」で起きているのではないかと思うようになりました。

神様は、「悲惨な出来事」に対して、評論することではなく、その出来事を自分が否定的に感じてしまうのなら、まず心の中から敵意や憎しみを取り去ることができるかを、問うているのではないでしょうか。

具体的には、次ように考えるといいようです。

メモ
仮に、一般的に「悲惨」という出来事が起きたとしましょう。
その出来事に対して、あなたが「なんてひどいことをするんだ。そんなやつは、死刑になればいい」と願ったとしましょう。
その時の、あなたの心はどんな状態でしょうか。
おそらく、敵意・憎しみの塊になっていますよね。

そんなあなたを見て喜んでいるのは、「悪魔」という存在です。
一方で悲しむのは、神様という存在です。
メモ
一般的に「悲惨」と言われる出来事が起こった時に、犯人に憎しみを向けるのではなく、
自分に向けて「人が人を殺すのは、本当に嫌なこと。だったら、自分はどんなに人を憎んでも、どんなことがあっても、絶対に人を傷つけたり、殺したりしないようにしよう」と決意した時、喜ぶのは神様なのだそうです。

お釈迦さま

もしも、多くの人が、自分の中の敵意や悲しみを見つめ直すことができたなら、「私のメッセージが理解されて嬉しい」と神様はニッコリ微笑むのかもしれません。

参考にした書籍↓