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「誤解」を解きたい!話し合いをして和解したほうがいいのか?

疑問に思う女性

ポイント
人間関係では、「誤解」をまねいてしまうこともありますよね。

起こってしまった「誤解」を解こうと、話し合いをしたほうが良いのか?
なんとしても和解に持ち込んだほうがいいのか?

このように悩んでいませんか?

お釈迦さま

小林正観さんはしないほうが良いですよ。と答えました。
では、そのお話を見ていきましょう。
小林正観さん著書:「で、何が問題なんですか」より引用
まず第一の問題としては頼まれないことを自分が独自の判断で何かをしてあげようと思うのは、やめたほうがいいです。

頼まれたら、いつでも誰に対しても人を選ばないでやってあげるというのは、ぜひやってほしいけれども、頼まれないのに自分の判断で「この人は、きっとこれが必要なんだろう」っていうか関わり方をしないほうが良いと思います。

それは「小さな親切・大きなお世話」ってことですから。
人間関係のトラブルっていうのは、距離感がある程度あってトラブルに成ることはないんです。
距離感が遠すぎてトラブルに成ることはないんですけど、近づきすぎるとトラブルになる。

やはり踏み込んじゃいけないエリアがありそうです。
だから、頼まれてもいないのに自分の勝手な概念で、踏み込まないほうが良いと思いますね。

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友人にしても家族にしても同じなんですけど、近寄りすぎないことです。
もし、他人に対して踏みとどまることができる問題なんだったら、家族に対しても踏みとどまれるはずですよね。

でも、家族だったらこれを行ってもいい、というのは甘えなんですよね。
人間関係で大切なことは「距離感」だと私は思います。

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その誤解されていることに関して、一生懸命に事情を説明して、わかってもらいたいと思うのはやめましょう。
ただひたすら後ろ姿を見せて「あー私は、あの人を誤解してたかもしれない」とその人に思わせるような生き方をこれからしていけばいいんです。

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神崎与五郎の話(割愛)
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神崎与五郎は、決して言い訳をしなかったんですんね。
弁解も弁明もしませんでした。

ただひたすら、生き様や後ろ姿を見せ続けていったのです。
そういった、誤解を解く方法があるのです。

謝っても聞いてくれないというのは、辛いことですが、その後のあなたの後ろ姿を見せて「あー、私はあの人を誤解してたかもしれない」と思わせたら、それで良しなんです。
でも死ぬ前に誤解を解けなくてもそれで良し。

誰かに誤解されたら、それをどうしても「解きたい、解きたい」と思う必要はないんですね。
誤解されたとしてもいい、いつかはわかってくれると思いながら生きていけばいいんじゃないですか。
それは、神崎与五郎のように、これからの生き様を見せ続けるという方法です。

ここまで

お釈迦さま

どうしても私達は「誤解」を解きたい!と焦ってしまいがちですが、「小さな親切・大きなお世話」のようです(^_^;)

ただ、それで終わりというわけではなくて、その「誤解」されている相手の前では、常に笑顔で温かな対応を続けていると、相手も笑顔になり温かな対応をしてくれるようになります。
それが、宇宙法則らしいので、そちらをおすすめしておきます。

引用させていただいた本はこちら