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死後の世界があるかもしれないと思わせられるお話

天国イメージ

ポイント
死後の世界(あの世)はあるのだろうか
・人は死んだらどうなるのか
輪廻りんね転生はあるのか

お釈迦さま

などと、疑問に思っている人は少なくないでしょう。
私も小林正観さんのお話をきくまでは、輪廻転生を信じていませんでした。
では、そのお話を紹介しましょう。

小林正観さん著「幸も不幸もないんですよ」より引用

引用ここから
生前せいぜん」という言葉があります。
「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。

意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に「大往生だいおうじょう」という言葉があります。

「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「せい(の世界に)往く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。

どうも、昔の人達は、「あの世」があると思っていたようです。
更に、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります。
「誕生日」の「誕」という文字を調べてみると、おもしろいことがわかります。

「誕」は「生まれる」のほかに「いつわる」「いつわり」という意味があるのです。
私たちの人生は「いつわりの人生」なのかもしれません。
「本物ではない」「ほんとうではないんだ」ということでしょうか。

この40年で、私は22人の子供に遭遇しました。
いずれも3歳児です。
ある共通項を持った子どもたちでした。

その共通項とは、「生前の記憶を持っていた」ということです。
一般的には2歳半くらいでちゃんとした言葉をしゃべり始めます。
3歳くらいだと言いたいことが伝えられるレベルですが、同時に「生前」の記憶は、しだいに薄れていくようです。

多くの場合、4歳では記憶がなくなってしまうのでしょう。
自分の子に「生まれる前のこと覚えている?」と聞いた親がいました。
「覚えているよ」と答えた子どもたちでした。

22人の子どもは、たがいいに知り合いではありません。
皆、数百kmも離れたところに住み、親どうしも知り合いではありません。
ですから、だれかがだれかの話を聞いて影響を受けて、同じような話を創作している、というような可能性はとても低いのです。

すべての親に会っていますが、親が子を「誘導した」という感じの人は一人もいませんでした。
親も子も、皆が、信じるに足る人たちでした。
その子の話を聞いて、ぜひその子に会って話を聞きたい、と私が希望し、翌日などに会うことができた子が22人。

子どもたちが語った内容は、それもよく似ていました。
いわく、「お母さんが寂しそうだったので、この人を励ましてあげようと思ったら、その人のところに生まれてしまった」
いわく、「お母さんが泣いていたので、味方をしてあげようと思った」
いわく、「お母さんが一人だったので、話し相手になってあげようと思った」

こんなことを言う子もいました。
「お母さんが男の人に泣かされていたので、お母さんの側についてあげようと思ったら、お母さんのおなかから生まれてしまった。その後、お母さんを泣かせていた人が、今のお父さんであることがわかった」
恋人時代にケンカをしていたのかもしれません。

「お父さんとお母さんがとても仲よしで楽しそうだったので、ここの子どもに生まれたら楽しそうだと思った」
「後ろに妹がいて、二人であの人達の子どもになろうね、と約束し、私が先に往くからね、といって出てきた。妹はすぐあとから来ると言っていたのに、出てきたのは2年もあとだった」

「あの世」では多くの”仲間“に囲まれていた、と言うのです。
「向こうで会おうね」と言って皆と別れたのに、生まれたときには知り合い(そのときの仲間)がだれもいなかったので、寂しくて悲しくて泣いてしまった、という話をした子もいました。
22人の話を総合すると、どうも「あの世」があるようだ、と言わざるをえません。
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以下略

お釈迦さま

また、小林正観さんに関係なく、テレビで子どもが、「絶対に当の本人でしか知り得ないこと」なのに、数十年前の事実を記憶で話をしている(生まれ変わる前の記憶が残っている)という番組をやっていたのを見たことがあります。

子どものも、「とくに教えたわけではないのに、いろんなことを知っていた(覚えていた)」
そして、実際に調べてみたら「過去の事実と一致した」という番組でした。

輪廻転生(生まれ変わり)を信じる?信じない?

ポイント
「輪廻転生を信じなさい!」と言っているのではありません。
「輪廻転生を信じたほうが良い」と言っているわけでもありません。

ただもし、信じたのならば、生死に関する執着から開放されるかもしれません。
だって、生まれ変われるのですから。
それがわかると、「絶対にこうしなければ」と、戦ってばかりの人生より、「目の前の人を大事にしていき、それが自分にも返ってくる」という楽しい人生を過ごせるかもしれません。