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「悟り」とは一体何なのでしょうか

このページの内容を動画で解説しています↓


以下、文による解説です。

「悟り」とは一体何なのでしょうか?
このページでは心学研究家「小林正観さん」の
「悟り」についてまとめてみました

あくまで正観さん流の「悟り」であり
宗教ではありませんので
気楽に見ていただけたらと思います

悟りとは諦めること

時に正観さんは言いました

悟りとは諦めること
具体的には、
人生の全てのことは思いどおりにならないと思い定めること

自分の思いどおりにしようとして、
でもそうならないからストレスになる
なので最初から、物事は思いどおりにならないと諦める

「あきらめる」と聞くと「断念する」という
ネガティブなイメージを持ちやすいですが
本来、「諦める」の語源は「あきらしめる

「あきらしめる」とは
宇宙の真理を「明らかにする」という意味だったようです

間違っても「夢をあきらめなさい」という意味ではなく
「夢が叶わないと嫌だ」という
執着を持たなければ自分がラクということ
夢は持っても構いません

悟りという文字

悟りという文字は「りっしんべん」と「」から成り立っています
忄は、「心」から転じた偏であり
主に「心の動き」に関係する漢字に使われます

吾は「あきらか」という意味

つまり「悟り」という文字は
「心が明らかになること」

正観さんは
このことを辞書で初めて見た時、衝撃を受けました

なぜなら、悟りとは「究めること」「全てがわかること」と辞書に書かれていたのではなく
「心が明らかになること」と書いてあったから

では「心が明らかになる」とはどういうことか

仮に許せない人がいたとして
自分の心を覗いたときに
「あの人だけは許せない」と思う一方で
「もう許したほうがラクかな」と思う自分もいるかもしれない

そういう自分も含め
すべて「受け入れる」ことが
「心が明らかになること」のようです

お釈迦さまの悟り

時に正観さんは言いました

お釈迦さまの「悟り」とは
四諦したいに集約される
四諦とは
苦諦くたい集諦じったい滅諦めったい道諦どうたいの4つ

ポイント
それぞれの意味は
「苦諦」人生は苦悩に満ちている
「集諦」その苦悩はすべて執着する心から生じている
「滅諦」執着する心を滅すれば苦悩はなくなる
「道諦」その考えを毎日実践し、すべての苦悩から解き放たれる人生を歩むこと

わかりやすく言えば
お金持ちになりたい
病気になりたくない など

人生を自分の思いどおりにしたいという
「こだわり・執着」が苦悩の正体
これら執着を手放すことが「悟り」に繋がるようです

悟りとは腑に落ちること

時に正観さんは言いました

人生の出来事が「腑に落ちたら」悟ることができる

腑に落ちるとは、胃 つまり体の中にストンと落ちて収まること
「納得ができる」という意味

ポイント
人生に納得ができた状態とは

今まで自分の身に起きたことは、全て自分に必要なことだった

全ての出来事が自分を成長させてくれた、それがなければ自分はここまで来なかった
だから今までのすべてに感謝ができる

お釈迦さま

このように、人生に納得できたのなら それは悟りのようです

悟りは受け入れること

時に正観さんは言いました
「悟り」とは すべてを受け入れること

ポイント
1 過去のすべてを受け入れる
2 現在のすべてを受け入れる
3 未来のすべてを受け入れる

お釈迦さま

そうすれば すべての悩みから開放されるというのです

間違っても「受け入れるべきだ」という「べき論」ではなく
「受け入れる」ことによって 解決できる可能性もあるんだよとお考えください

すべての現象を自分の価値観で見たり、
自分の思いどりに変えようとせず
そのまま認めれば、楽に生きることができる
これが「受け入れる」ということ

悩んだり 苦しんだりしたくない人は、
現象を少しずつ 受け入れてみるのもいいかもしれません

悟りとは笑うこと

時に正観さんは言いました

悟りとは受け入れること =笑うこと

受け入れていないと笑えない
笑えたら 受け入れたこと

例えば 子どもの成績表を見て
全部「1」だったとしても
「きれいだね」と言って笑えたら
その子を受け入れたことになる

ですから、人生の出来事に
「そんなこともあるよね」と笑えたら
受け入れたことになります

悟りは難しくない?!

正観さんは「悟り」は難しくないと言いました

そして「悟り」の前段階として
五戒ごかいを言わないことが重要だと言ったのです

五戒とは「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つ

五戒を言わないようにしていたら
人は悟れるのかもしれません

五戒を言わないのが難しいという場合
それを助ける考えが

「人生は すべてシナリオどおり」
人生のすべてが自分で書いてきたシナリオどおりだと言うのです

目の前に起こった現象に
「これも自分で決めてきたことか…だったら文句を言ってもしょうがない」と思えたら
五戒を言わなくなるのではないでしょうか

悟りと死生観

キリスト教と仏教では「自殺」に対する考えが異なります
キリスト教では
自殺は神を否定することとして 認められません

一方、仏教では
ある条件をクリアすれば 認めるようです
その条件とは「悟った人」であること

これについて正観さんは言いました
もし「悟った人」であるならば
「死にたい」とは思わない つまり自殺することはない
悟った人は「死にたい」という執着も
「生きたい」という執着もない状態

つまり悟った人は「いつ死んでもいい」と思い
同時に「何歳まで生きてもいい」とも思っている

人生を「おまかせ」で生きてる人のようです

最後に

正観さんは「悟り」についていろいろなことを教えてくださいました
間違っても「悟った人」が偉いというわけではありません
人によって 悟るタイミングも違います

人それぞれ 育ってきた環境や
置かれた状況が違うので当然

ただ共通して言えるのは
悟った人(受け入れた人)は、悩み 苦しみから開放された状態であること

お釈迦さま

ぜひ、少しずつ受け入れて 悩み苦しみの無い状態を体験されてみてはいかがでしょうか。
参考にさせていただいた書籍↓