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「裁く者は裁かれる」これを「正観さん流」に変えると…

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。
人間が怒るのは正義感使命感から生じることが多いようです
具体的には、自分が正しくて、相手が間違っていると思った時に人は怒ってしまうのです

一般的に「正義感・使命感を持つことはよいことだ」と思われていますが
正観さん流
では違います

もちろん、正義感・使命感を自分に向けて
自分を律するだけならよいのですが
他者にまで正義感を向けてしまった場合

憎しみ・怒り・苛立ちを宇宙に投げかけてしまうようなのです

お釈迦さま

この仕組を、もっとわかりやすくするために
正観さんは、キリストの言葉を引用しました

キリストの言葉

ポイント
裁く者は裁かれる、裁かぬ者は裁かれない
許す者は許される、許さぬ者は許されない

お釈迦さま

有名な言葉ですが、
正観さんの解釈は以下となっています。
ポイント
「裁く者の心は砂漠。許す者の心はラクダ」

このアレンジには
まず、裁く砂漠がかかっています
そして、許すラクがかかっています

さらに、砂漠ラクダがかかっていて、とてもうまくできていますね

お釈迦さま

では、これにはどういった意味が込められていたのか…
正観さんの具体的な解説はこうです
意味
自分の気に入らない人を裁いているとき、
裁く者の心は、不毛で潤いのない砂漠である

私たちがこの世で問われているのは
他人の人生に干渉することではなく
「自分がどう生きるか」である

人を裁いて「許せない、許せない」と、狭い心で糾弾しているよりは
「そういうこともある」とニコニコ生きているほうがずっとラク

正義感や使命感が強ければ強いほど、実は生きるのが苦しい
なぜなら自分以外の人を許せなくなるからだ。

いかがですか

なにがあっても怒らない(人を裁かない)人格者を目指すなら
正義感を持たないほうがいいようです

もし「許せない」という心が働きそうになったら
すぐに「そういうこともある」と心の中でつぶやいてみてくださいね

最後になりますが正義感・使命感を手放す方法が次です

正義感を手放す方法

「人間はみな、そもそもたいしたものではない」と認識するといいみたいです
もちろん自分も含めてたいしたことないのです

自分が「正しい・偉い・立場が上だ・年が上だ」などと思ってしまうと
人を裁きたくなる心が湧いてきます

なので、どんな状況でも、たとえ相手が子どもでも
「人はみなたいしたこない」「自分はたいしたことない」と思っていると
正義感がなくなり、他者を糾弾したり評価したりしなくなるのではないでしょうか

お釈迦さま

正義感・使命感を捨て
自分の心の許容範囲を広げてしまう方が
自分自身が楽しくて、ラクな人生を生きられるようです

参考にさせていただいた書籍↓