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小林正観さん「きくあの思想」を解説

このページの内容を動画で解説しています↓


以下、文による解説です。

お釈迦さま

この動画では
心学研究家 小林正観さんの
「きくあ」について解説します

「きくあ」とは
正観さんが作った言葉で
競わない 比べない 争わないの頭文字です

「きくあ」は 私たちの生き方をラクにしてくれるので
ぜひ最後までご覧ください

競わない とは

私たちは 競うことが当たり前になっています
身近なところで言えば
成績・評価・ノルマ・売上 など

競うのが当たり前なのは
「競う」教育を受けてきたから

江戸時代では個人のよいところを伸ばす教育だったのに

注意
明治時代 西洋の価値観が入ってきて
競う教育になってしまった

テストの点数は 高いほうがいいとされ
成績も 相対評価によって
クラスの上位だけが 「5」の成績になる というように…

人より抜きん出ることで初めて
「偉い」「立派だ」という評価を得られる

勝つことが正しい
負けることがよくない
という価値観を教え込まれた

ポイント
その結果
「幸せ」を手にするためには、
「他人と競う必要がある」と錯覚しています

・人よりも いい生活ができたら幸せ
・人よりも 優れていたら幸せ
・人よりも お金があれば幸せ

ですが よく考えてみてください
幸せになるために
誰かと競わないといけないというのは
どこか矛盾を 感じませんか
競うことでしか得られない 幸せは
本当の幸せではない

ポイント
なぜなら 競い合いには キリがなく

本人が満足しなければ
永久に心が満たされず
人を蹴落として優位に立っても

その先に待っているのは
孤独かもしれない

正観さんは言いました
人と競い合って、自分の目標を達成し、
自分のためだけに生きるよりも
人に何かをしてあげることで喜ばれ

自分も人の好意に素直に甘えて
それに感謝して生きるほうが、
ストレスもないし

心温まる豊かな人生になるのではないか

お釈迦さま

つまり
「競わないこと」は幸せの一つなのです

比べない とは

私たちは つい他人と比べてしまいます
しかし、比べたところで
あまりいいことはありません

なぜなら
劣等感をいだいて 嫉妬したり
落ち込んでしまったり

反対に 他人と比べ
自分が勝っていると優越感に浸るとどうでしょうか
今度は 傲慢になり
人が離れたり
痛い目を見るでしょう

お釈迦さま

正観さんは言いました

ポイント
人間の価値は、勉強や仕事ができるとか
数字で判断できるような 単純なものではなく
あらゆるところに
素晴らしい個性や
その人の 存在価値がある

自分は自分であり
他の人には持っていない優れたものを
必ず持っている

なにかの基準で 人同士を比べることは意味がない
(我が子と 他所の子も比べなくていい)


比べることをやめて

自分が幸せを感じたら それでいいのではないか
だから 自分がどう生きるかだけ

これに気づいてしまったのなら
落ち込むことも 傲慢になることもない

生きることが とてもラクになる

お釈迦さま

比べないことは 幸せの一つなのです

争わない とは

金持ち喧嘩せず と言いますが

争わないほうが 賢明なのは
言うまでもないでしょう

争うと まず時間がもったいない
人下関係のいざこざといった
不毛な争いに
エネルギーを使うことは
無駄かもしれません

そしてなにより 争うと
ガンになりやすいみたいです

お釈迦さま

正観さんは言いました

日本人はもともと草食動物

草食動物はとても優しく
目の前に同種類のものが現れると
「あっちいけ」と、追い払うことはせずに
仲間にしていく

反対に
西洋人は肉食動物
肉食動物は、同種類のものを ときに追い払い
戦って 争って 縄張りを守ろうとする

そんな、西洋の価値観が
明治時代の日本に入ってきた

すると本来は
市民 同士で 争わない日本人が
競い 比べ 争い始めた

そのストレスから
ガンになる人が急激に増えたのだとか
日本人はもともと 争って生きるのではなく
和を大事にする国民だった

おだやかに生きていく性格や
魂が集まる国だった

日本を作った神の意思は
和の心をとても大切にしている
そのため 和の文字をとって大和やまとと名付けた

チェスはヨーロッパのゲームですが
相手の駒を取ったらそのまま

囲碁は中国のゲームで
相手の駒を取ったらそのまま

将棋は日本のゲームで
相手の駒を取ったら、
自分の駒(味方)として使えます

ポイント
人と争っても 敵を増やしていくだけです
誰とも争わず

目の前の人すべてを笑顔で受け入れていけば
相手は 味方になってくれるかもしれません
無敵とは 敵が一人もいないことが無敵であり
無敵の人生は 幸せの一つの形ではないでしょうか

船を浮かべるだけ

川の上に 舟を浮かべた状態
人生だとして

お釈迦さま

正観さんは言いました

川の流れに 船を浮かべるだけでいい

私たちは 船を漕がないといけない
という価値観を教え込まれました

自分で人生を切り開くべきだと教わった

流れに逆らって 上流へ漕ぐのは とても大変ですよね

反対に、下流に向かって漕ぐのはどうでしょうか

注意
これは、生き急いでしまうようです
人よりも努力して 人を蹴落として
周りに面白そうな人がいるのに
動きが速すぎて
手を振る余裕がない
笑顔を交わすこともない

そこで正観さんが言ったのは
船を浮かべるだけでいい
夢も目標も 努力も頑張りもいらない人生
ただ流れに身を任せて

目の前に起こる現象を
すべて受け入れることが出来たら
悩み苦しみはありません

目の前の人・もの・こと
大事にして味方にしていけば
助けてもらえて
自然と道が開けるらしいのです

漕がなくていいので心身はラク

誰とも競わず 比べず 争わず
流れに身を任せる状態は

左右の景色を楽しむことができる
心地よい風を感じることができる

つまり人生は
たくさんの幸せに囲まれていることに気づけるのです

注意
ちなみに 目標・努力は
人生の前半生(約40歳まで)は持つといいですが
人生の後半生(約40歳移行)は
捨てていくとラク とのことでした

数字や評価を気にしない 「きくあ」で

ただ頼まれごとや
やるはめになったことをやり

喜ばれるように生きていれば
人生はそれでいいみたい

不幸が起きたら

正観さんの「きくあ」の話を聞いて
ある男性が 質問しました

質問内容
「きくあ」の考えは素晴らしいと思います

ですが、頑張らない マイペースでやった結果として
給料を削られたり、リストラされたらどうするのですか?

お釈迦さま

正観さんは言いました

「きくあ」の考えを取り入れて、
自分の中で 本当に腹を固めたのなら
給料を減らされようが リストラされようが
はい わかりました」と 微笑んでいられるはずです

自分が嫌な目にあったり、
つらい状況にあったら
慌てふためく というのなら
従来の生き方と 同じです

それだったら 努力を続けるほうがいいのかもしれません

争わない 頑張らないことを
自分の中で決意するということは

上司に何を言われようと、
社会的にどんな評価をされようとも
文句を言わずに淡々とやること

ちなみに正観さん流の 努力・頑張りとは
自分の能力以上のことを必死にやり続けること

ですから 能力以上の努力・頑張りは必要なく

自分が楽しめる範囲で
笑顔で淡々とやる 生き方があるみたいです

最後に

正観さんの「きくあ」はどうでしたか?

あなたの場合はどうでしょう

いつも 競ってないですか?
何かと 比べてないですか?
誰かと 争ってないですか?

「きくあ」の生き方を実践していくと
自分がラクだし
いろんな幸せに気づけると思います

人生の後半生では
景色を楽しみながら
風を感じながら
ゆったり おまかせで生きてみるのはどうでしょうか

なにか起こっても 慌てふためく必要はない
人生に 越えられない壁は
起こらないようになっているみたいだからです

お釈迦さま

ぜひたった一度の 今生の人生を
ラクに楽しんでくだされば幸いです

参考にさせて頂いた書籍↓

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