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たまたま入った飲食店が「会話禁止」だったらどう思いますか?
この動画では、心学研究家「小林正観さん」が
会話禁止の飲食店に実際に入店して、「一事で万事」と言われたことをまとめました
ちなみに「コロナ感染症」が流行る前のお話です(1990年代)
正観さんが「一事が万事」という言葉に似せてつくった造語です
※「一事が万事」とは
一つを見るとすべてがわかる という意味
お釈迦さま
どんな意味が隠されていたのでしょうか
ぜひ最後までご覧ください。
おしゃべり禁止の蕎麦屋
正観さんが、ある有名観光地で
お蕎麦屋さんに入りました
20人ほどの客がいたのに
誰も会話しないで
シーンと静まり返っていたそうです
とても違和感を感じたそうですが
メニューの「断り書き」を見て、その理由がわかりました
お喋りをしたい人は喫茶店に行ってください
食べ終わったらすぐに席を空けてください
食べ終わっての無駄なお喋りはお断りします
店とトラブルが生じたら、料金の5倍いただきます
生じた問題はすべてお客様側の責任とします
お釈迦さま
ここは有名な観光地ですから、
何も知らない観光客がやってくるので、
お店としてはやっていけるでしょうが
この断り書きを見たら、
次、また来ようとは思わないでしょう
一事で万事
さて、お蕎麦屋さんの気持ちもわからないではないですが
あなたはどう感じましたか?
正観さんは次のような見方を教えて下さいました
たしかに、過去に嫌な客が来たのかもしれません
次の客が待っているのに、長時間 居座り続けた客がいたのでしょう
ですが、嫌な客と 常識的な客とでは
常識的な客のほうが圧倒的に多い
1000人来れば、 我慢出来ないほど長居する客は10人いるかいないか…
つまり1%
たった10人のために
敵意・憎しみを込めた「断り書き」が
ほか990人の善良な客にも向けられてしまう
非常にもったいない
どんなに美味しいお蕎麦を提供しても
味が落ちて感じるかもしれないし
客が「二度と来たくない」と思うかもしれない
1%(一事)のために 99%(万事)をも敵にしてしまっている
一事で万事を決めてしまっている
小さな出来事をもとに
社会全てに恨み 憎しみ
そういう敵意にあふれた態度を
親切な人にまで日常的にとってしまっている
投げかけたものが返るので
ちがう形で、不幸と思える現象を引き寄せるかもしれません
無愛想な電話
お釈迦さま
昔、固定電話にて
誰からの電話なのかわからない「通知機能がない時代」の話ですが
ある人が、電話に出る時に
いつも不機嫌に「はい」と出ていました
その理由は、「よくいたずら電話があるから」
よくあると言うのですが、実際は年に1回ほどだった…
これも「一事で万事」
年1回のいたずら電話のために、
自分にとって大事な人から電話があるもしれないのに
警戒的・戦闘的・攻撃的な体勢をとっている…
不機嫌な声を聞いたお得意先や友人からは疎遠になったり
いろいろもったいないことをしているのかもしれません
敵意を持たない解決法
さて、敵意や憎しみを持たない解決法も紹介しておきます
ある宿で「入浴は11時までに入ってください」と書いてありました
これより強い言い方をすれば「11時以降の入浴禁止」
柔らかい言い方をすれば「入浴は11時までご利用いただけます」
「言いたいこと」はどれも同じです
【入浴の時間は11時まで】 ということ
ですが、強い言い方は どこか「命令的」
柔らかい言い方は「11時まで入れるのか」とどこか得した気分になります
お客に「泊まってくださってありがとう」と感謝の気持ちがあれば
「11時以降の入浴禁止」とは書けないでしょう と。
せっかく くつろぎに旅行に来ているのに、
どこか「命令的」な宿と、ゆったりできる宿と
どちらが「また来たい」と思うでしょうか
投げかけたものが返ってくるようです
最後に
「嫌だ」と感情的に思うのは仕方ありません
ですが「一事で万事」を決めてしまうことは
本来なら「味方になってくれたであろう人」でさえも
敵に回しかねません
ですから、これから「わたし」に起こる人間関係や出来事に対して
広い視野で考えたほうが、人生は結果的に得するのかもしれません
ぜひ、あなたの「見方の1ページ」に追加していただけたらと思います
参考にさせていただいた書籍↓