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目標を持つと「しんどい」目標を持たないと「幸せ」の意味

目標 イメージ

お釈迦さま

私達は、「目標を持て!」「夢を持て!」と教えられてきました。
なので、それが「当たり前」だと思っていますが、どうやら違う価値観があるようです。

お釈迦さま

では小林正観さんの話を参考にしてみましょう。
(幸せの宇宙構造より)

小林正観さんの話を抜粋

ここから
あることについて、例えば試験の点数にしても営業成績や売上げのことについても、ある数字を追いかけていくとします。
その結果、100が200になれば300を望み、300が400になれば500を望みというかたちで、私達は限りなく上の数字を追い求めようとします。

しかし、それが1000,2000、3000になっても、決して無限大に到達することはできません。
私たちは限りある数字を追いかけることはできますが、無限大に到達することはできないのです。

「無限の数字に到達した時に「幸せ」というものが存在する」、というふうに私達は信じこまされて生きてきていますが、その無限大に到達することは絶対にありえません。
ものすごく大きな数字を達成したから幸せになって死んでいった、という人は、この世に皆無です。
幸せになった人は、大きな数字を達成したからではなく、大きな数字を達成したその先に、何か全く違う価値観を見出し、幸せを確認することができて死んでいったのです。

数字を追い求めている限りは、絶対に幸せにはなれない。
100を1万、10万にして、、、というかたちで幸せが手に入るわけではなく、その方法論に疲れた場合には、逆の考え方をすることで幸せになることができます。
それは、今時分が100、200というレベルにいるときに、上を目指さずに0に戻るという方法です。

つまり、「これをしなければならない」とか「こういうものを達成したい」というすうじを限りなく0に近づけていって、ついに0になってしまうことです。

もし、望むこと・欲すること・希望することが0になったならば、【0=無限大】というかたちになります。
なぜか、0ということは、「望むもの・欲するものがなくなってしまったという状態」です。
つまりは、すべてのものに対して満足しているということであり、言葉を変えて言うならば、それはすべてのものが手に入っている、すべてのものが満たされている、ということにほかなりません。

「望むこと・要求すること」そういうものがすべて0になってしまえば、逆に自分は満たされてしまうのです。
「あれが欲しい」「これが欲しい」と行ってそれを追い求めている間は、多分、満たされた幸せな状態になることはないでしょう。

自分が望むものや求めるものがなくなってしまうこと。
この0の状態こそが、まさにありとあらゆる幸せを手に入れたということです。
何も求めない【状態=無限大】にほかなりません。

「私」がいかに目の前の現象や事実を幸せと感じられるか。
そこに幸せというものが存在しています。

ここまで。

目標を持つことが悪いわけではない

いかかがでしょうか。
もちろん、目標を持つことも悪いことではありません。

がしかし、目標には終わりがなく、永遠に走り続けることを強制させられる可能性があります。
走り続けることに疲れ切ってしまう可能性(うつ病・自殺・登校拒否など)があります。

ところが見方を変えるといつも幸せに満ち溢れるという考え方ですね。
「見方を変えるとすごく楽に生きられるという考え方もありますよ」というお話です。

ちなみに、目の前の幸せとは

ポイント
・目が見える幸せ
・歩ける幸せ
・話せる幸せ
・呼吸ができる幸せ
・食べられる幸せ
、、、、無限に出てくるでしょう。

お釈迦さま

もし、目標を持つことに、疲れているのならば、上記の話を参考にしてくださいね。

お釈迦さま

こちらの記事も参考になります↓
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