お釈迦さま
小林正観さんの著書の中には
「思い」を持つから苦しい
「思い」を持たなければ楽
「思い」は重い
などなどがあります。
「思い」を持つから苦しい
「思い」を持たなければ楽
「思い」は重い
などなどがあります。
注意
この説明を受けた時に、「それだったら、感情なしの人間になるではないか」「そんな人生が楽しいの?」と、反論する人がいます。
それは誤解なので、その誤解を解いていこうと思います。
お釈迦さま
まずは、その解釈を理解しやすくするために、小林正観さんの「幸せの宇宙構造」より一部抜粋します。
小林正観さんの話
ここから
【嫌なこと・嫌なのもの・嫌な人などの現象】があるわけではなく「私」が勝手に決めている。
もともと存在するものはゼロであり、それに「私」が指をさして「これは良いこと、悪いこと」「気に入った、気に入らない」と言っているに過ぎません。
もともと現象に「良い・悪い」はないのだ、ということを認識したいところです。
「こんなにつらく悲しいことがあるではありませんか」という人がいますが、つらく悲しいことがあるのではなく「つらく悲しい」と解釈している自分がいるだけであり、もともと現象はゼロ。
それを、自分が「こんなに不幸だ、つらい」という感想や感覚でとらえているだけで、それ自体が不幸であるのか悲劇であるのかということは、多くの人にとって一般的なことではないでしょう。人によって全部とらえ方が違う。
ということは、結局は自分がそのように決めている、ということにほかなりません。
悲劇という現象が存在するのではなく、現象はすべてもともとゼロである。
ですから、私はどのような悲劇的なこと・不幸なことを相談されても、「そのような不幸や悲劇は捉え方によるものだと思いますよ」と言い続けてきました。
小林正観の唱える「プラス思考」とは、マイナス現象(不幸や悲劇)が存在するのをプラスにとり直しなさいというのではなく、「もともと現象は全部ゼロである。そのゼロを否定的にとらえたがゆえにマイナス現象になっているだけで、もともとゼロなのだから、それをプラスにとり直してみたら面白いのではないか」ということを言っているのです。
趣味の世界として、ゼロの現象を否定的に「つらい・悲しい」ととることは個人の権利ですから、私はとやかく言うことはできません。
しかし、不幸や悲劇が存在するではないか、と言われたときには「現象が存在するわけではなく、本人がそう決めているだけですよね」とお答えする他ないのです。
すべての現象は自分がが決めている。
「自由」とは「自らに由る」と書いてありますが、実は、起きてくる現象を「不幸だ・悲劇だ」ととらえるのも自由である半面、一つ一つの起きてくることを「嬉しい・楽しい・幸せ」ととらえ、さらに「ありがとう」と、感謝の気持ちでとらえることも「自由」です。
もともと存在するものはゼロであり、それに「私」が指をさして「これは良いこと、悪いこと」「気に入った、気に入らない」と言っているに過ぎません。
もともと現象に「良い・悪い」はないのだ、ということを認識したいところです。
「こんなにつらく悲しいことがあるではありませんか」という人がいますが、つらく悲しいことがあるのではなく「つらく悲しい」と解釈している自分がいるだけであり、もともと現象はゼロ。
それを、自分が「こんなに不幸だ、つらい」という感想や感覚でとらえているだけで、それ自体が不幸であるのか悲劇であるのかということは、多くの人にとって一般的なことではないでしょう。人によって全部とらえ方が違う。
ということは、結局は自分がそのように決めている、ということにほかなりません。
悲劇という現象が存在するのではなく、現象はすべてもともとゼロである。
ですから、私はどのような悲劇的なこと・不幸なことを相談されても、「そのような不幸や悲劇は捉え方によるものだと思いますよ」と言い続けてきました。
小林正観の唱える「プラス思考」とは、マイナス現象(不幸や悲劇)が存在するのをプラスにとり直しなさいというのではなく、「もともと現象は全部ゼロである。そのゼロを否定的にとらえたがゆえにマイナス現象になっているだけで、もともとゼロなのだから、それをプラスにとり直してみたら面白いのではないか」ということを言っているのです。
趣味の世界として、ゼロの現象を否定的に「つらい・悲しい」ととることは個人の権利ですから、私はとやかく言うことはできません。
しかし、不幸や悲劇が存在するではないか、と言われたときには「現象が存在するわけではなく、本人がそう決めているだけですよね」とお答えする他ないのです。
すべての現象は自分がが決めている。
「自由」とは「自らに由る」と書いてありますが、実は、起きてくる現象を「不幸だ・悲劇だ」ととらえるのも自由である半面、一つ一つの起きてくることを「嬉しい・楽しい・幸せ」ととらえ、さらに「ありがとう」と、感謝の気持ちでとらえることも「自由」です。
ここまで。
小林正観さんの話をまとめると
ポイント
・「思い」(自分の色付け)が、否定的だと「苦しかったり悩みが多い人生」・現象はゼロなので、それをプラスにとると楽しいのではないか
・悲劇だととらえることも、本人の自由
では、冒頭で述べたことに対して、説明を加えますと
冒頭で述べたこと
「それだったら、感情なしの人間になるではないか」「そんな人生が楽しいの?」と、反論する人
そもそも小林正観さんは「思いを無くせ!」とは一言も言っていません。
「思い」がなくなれば、楽に生きられますよ。
そのような「価値観・選択肢」がありますよ
と言っているだけです。
そしてまた、「思い」をなくすことは、感情なしの無情人間という意味ではなく、
不満的なとらえかたは一切しないで、すべてプラス「嬉しい・楽しい・感謝」というとらえ方にすると、
いつまでも幸せに包まれ、楽しい人生が待っていますよ。
というお話をされた方なのです。
どっちが得な生き方でしょうか
「不平不満・争ってばかり」の生きた方はストレスをためて、病気になりやすく、敵を作りやすい人生。
一方で、いつもニコニコ、ストレス無しの生き方は、病気になりにくく、周りが応援してくれる人生。
どのように、生きるかはあなたの自由というわけです。
お釈迦さま
いかがでしょうか。
今回は、小林正観さんの「誤解」をもたれやすいポイントについてお話してみました。
参考になりましたら幸いです。
今回は、小林正観さんの「誤解」をもたれやすいポイントについてお話してみました。
参考になりましたら幸いです。