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お釈迦様の土台が「蓮の花の理由」小林正観さん


以下、文による解説です。

ポイント
私たちは不幸や災難に遭った時
「なぜこんな目に遭うのか…」
と愚痴をこぼしそうになりますが
これからお話する、小林正観さんのお話を聞くと
180°考えが変わるかもしれませんので
ぜひ最後まで御覧ください

蓮の花

お釈迦様の台座の花は「蓮の花」です
ではなぜ、蓮の花に乗っているのでしょうか?

それには蓮に隠されたある秘密と関係しています
正観さんが10数年、蓮の花を観察してわかったのは

泥水が濃ければ濃いほど(水が汚ければ汚いほど)
蓮の花は「大輪の花」を咲かせるということ
大きいものでは直径20cmほどの見事な花を咲かせ

反対にきれいな真水では
3cmほどの花しか咲かないそうです

蓮の花が見事に咲くためには、泥がどうしても必要

そして その泥を
人生になぞらえれば、
泥は ツラいこと、悲しいこと、大変なこと
つまり人生の苦悩のこと。

私たちは大変なことを経験しない限り
美しい花を咲かせる(人格を向上させる)ことはないらしい

人生の中で「大輪の花」を咲かせることは
まさに「悟り」ということにほかならない

つらく悲しい思いがなければ
人間は悟ることがないことを お釈迦様は伝えたかったらしい
ですからその象徴として
蓮の花が台座に選ばれたのです

さらに 花を咲かせるために
不幸と呼ばれるものが必要だった
ということがわかれば
つらいことや悲しいことを経験したときに、

それらを不幸だと決めつけずに
「ああ、私は美しい花を咲かせることができる」
「ああ、私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」

と思って乗り越えることができるのではないでしょうか

事故や病気は幸せ?!

正観さんは言いました
事故を起こした人は以前よりも謙虚になる
病気になった人は以前よりも優しくなる

謙虚に優しくなった結果として
自分の生き方が変わる

周りに感謝できる生き方になると
周りの人を味方にしたり
神さままでも味方にしていき
自分が楽で楽しい人生となる

では、その人にとって事故や病気は不幸だったのでしょうか
いいえ見方によっては「幸せ」の前半分を手に入れていたといえるのです

そうすれば 「不幸」は
実は 自分自身にとってものすごく
嬉しく楽しく幸せで素晴らしい
「ありがたい」
ことだったと
気がつけるのではないでしょうか

もし病気にならなければ

私たちは「空腹」を感じることがなければ
美味しい」を感じることがありません

同様に「不幸」を感じることがなければ
幸せ」を感じることがないのです

このように「不幸」が幸せの前半分だと気づけたら
難病や障害でさえも
「幸せ」の前半分かもしれません

正観さんは言いました
挫折・困難・病気・障害を持つ人は
もしかしたら、そのおかげで簡単には出会えないような
素晴らしいものに
たくさん出会っているのかもしれない

事実、正観さんが難病を抱えた人たちに出会ってきましたが
その人達は言ったようです

ポイント
世の中にはたくさん「いい人」がいる
人のために親身になり
親切で温かく
限りない思いやりと
優しさにあふれた人たち
このような存在に気づかせてもらった
もし病気にならなければ
一生、このような素晴らしい人や世界が存在することを知らなかっただろう

不幸を嘆いても意味はない

自分への不幸ではなく
「世の中には不幸・災難があるではないか」という人がいますが

不幸を嘆いたところで
何かが変わるでしょうか?
いいえ なにも変わりません

日本の仏教僧「最澄さいちょう」の言葉に

一隅を照らす、これすなわち国宝なり
という言葉があります

一隅とは、今あなたがいる場所
つまり家庭・職場・学校などのこと

あなたの置かれている場所で
明るく光ることができたら お隣も光ります

それが広がるとやがては社会全体が明るく照らされる…

つまり「不幸」だと嘆くより
いつも笑顔で 肯定的な人
自ら 明るく光るような人こそ 国の宝である のかもしれません

最後に

幸せを感じるためには、
現象を肯定的に捉える必要があります

肯定的に捉えるには、
現象を受け入れる必要があります

受け入れやすくするために
今回の「蓮の花」のお話を 参考にされてみてはいかがでしょうか

泥水が濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせる

ぜひ、みなさまの人生にも 大輪の花を咲かせ
美しい世界に導かれていただけたらと思います

参考にさせていただいた書籍↓