自分の運命(人生)を呪ったり、後悔する人がいます。
ですが、それはすべて無駄なことです。
なぜなら、人生にどんなことが起こるかは、あらかじめ決まっているようです。
さらに、その人生の設計図を描いたのは、ほかならぬ自分自身らしいのです。
不幸をなげいても意味がない
もし、自分が描いた設計図とおりなら、過去をなげいても意味がない
すべての現象に対して、「はじめから決まっていること」と受け入れると、人生が驚くほど楽になります。
人生はすべてシナリオどおり
どうも人間というのは、「自分の人生を、生まれるときから死ぬまですべて、こと細かにシナリオに書いて生まれてきたようです。」
- どういう親の元に生まれ
- どういう職業を選び
- どういう人と出会うのか
そういった、細かいことを決めて、生まれてきているのです。
人生のシナリオは、自分が用意したものです。
自分にとって必ずいいようにしか、書かれていません。
ですから、過去を後悔する・未来に不安を持つことは全く意味はありません。
未来のことで、どんなに自分が手を打っても、どうしようもないときは、どうしようもないようになっています。
すべてシナリオ通りなら、悩む必要はない
人生はシナリオ通りに進んでいる、ということがわかると自分の人生についてあれこれ悩む意味がないことに気づきます。
人生に起こる出来事の一つ一つについて、評価をせずに、むしろ目の前に起きてくる現象を笑顔で楽しみながら、「面白いよね」と生きていくとのほうが楽しい人生になりそうです。
この話を聞いて、「そうか、今まで自分の人生について、いろんなことを呪ったり恨んだり、自分の思うようにならないといろいろ愚痴を言っていたけれども、そんなことを思ってもしょうがないのか」と思う人がいたら、ついに「楽に生きる」方法を手に入れたということです。
そんな変な話を聞いたって、絶対に信じない。という人は、それもシナリオ通りです。
信じる信じないは全くの自由です。
ただ、悩んで苦しんで「なんで自分はこんなに一生懸命努力しているのに、全然思うようにならないの」と愚痴や泣き言を言っている人がいたら、それは言っていること自体が無意味。なぜなら、生まれる前に、全部自分でそのように組み立ててきたからです。
自分の努力によって何でも自分の思い通りになるのだから、必死の思いでこれからも努力していくぞ、という人はそれでも良いのです。
でも、このような話を聞く、読むというのもシナリオ通り。
世の中にこの話を一生で一度も聞くことのない人はたくさんいます。
頑張ることしか教わらなかった人がたくさんいる中で、「頑張ることは何も意味はありませんよ。気合を入れて生きなくてもいいのですよ」という話を聞くシナリオになっていた。
お釈迦さま
生まれたときから死ぬまでの現象を、全部自分でシナリオに書いたとするならば、過去、あの時にああすれば良かった、こうすればよかったと悔やむ必要もありません。
自分の人生について評価をしたり、良い悪いや、好ましい好ましくないというのを全部やめて、ただ、毎日楽しく淡々と生きていく。そうすると楽になります。
嫌いな人間がいても、、、
あなたに、ヒドイことをしたり、言ったりする人がいるとします。
しかし、すべて、自分自身が人生に配置した人です。
つまり、そこに「いていただいた」方々です。
なぜ、嫌いな人を配置するのか
人生が、100%良いことばかりだと、人はうぬぼれてダメになります。
逆に、嫌な事ばかりだと、心が折れてダメになります。
なので、良いこと・悪いことの割合が50%になるように、私たちは最初から決めてきているのです。
「つらい・楽しい」というのは、50%ずつ置かなければならないようです。