お釈迦さま
本当の幸せを理解するのに
パラダイスとユートピアの話がわかりやすいのでご紹介します
パラダイスとは
天国や楽園という意味で知られています
正観さんの解釈では
自分の願いがすべて叶い
なんでも自分の思い通りにできる状態です。
ユートピアとは
理想郷という意味で訳されたりします
正観さんの解釈では
穏やかでにこやかな世界
どこにも争いごとがない状態です。
なにかに恵まれている必要はないという点です。
パラダイスは存在しない
では、現実世界でパラダイスは存在するでしょうか
何でも手に入り、すべてを思い通りにできる状態になりますが、
いいえ、誰しもがすべてを自分の思い通りにすることはできません
私達人間は、「欲しい物が手に入れば幸せだ」と考えていますが
実は、そのようなパラダイスは実現不可能なのです
お釈迦さま
そこで正観さんの例え話をご紹介します
人間の欲望はキリがない
すごい権力をもった「ある男」がいたとします
男は美女に、お酒をお酌して欲しいと考えました
権力があるので「東京で一番美しい女性『ミス東京』を呼べと言いました
男はミス東京では満足せずに、
「次はミス関東を呼べ」
「次はミス日本」を呼べ
「次はミスアジア」を呼べ
「次はミス・ワールド」を呼べ
「次はミス太陽系」を呼べと言ったら
美人の火星人が出てくるかもしれないと
人間の欲望・執着にはキリがないということです
満足する心を知らない限り、幸せを感じることは難しいのかもしれません。
お釈迦さま
では、次のお話をご覧ください
資産家の話
正観さんは実際に、
百億円を持っている資産家に会ったことがあるそうです
その資産家は言いました
「百億を超える資産がある人間は、毎日なにを考えているかわかりますか」
正観さんは、そういう状態になったことがないので
「わかりません。」と答えました。
すると資産家は
「その百億の資産を、どうやったら増やせるかということを毎日考えているんです」
と言ったのです
このお話からわかるように
大金を持っていても「幸せ」とはいえないのかもしれません
なぜなら、10万を貯めたら、次は100万が欲しいと思い
その次は、200万というように
人間の欲望・執着にはキリがないからです
このことから、正観さんは
「自分がここで満足をするというラインを持たない限り、人間が幸せになることはない」と言ったのです
ユートピアは存在する
パラダイスは存在しないという話ですが
「ユートピア」は存在するようです
なぜなら、ユートピアを認識するのは
「ある条件」を満たすことではなく
状況を自分の思いどおりにするのでもない。
ただ、自分が満足をして、
自分が今、幸せであると認識することが
ユートピアだといえるからです
もっと完結にいえば
「あれが欲しい」「ああしたい」という欲を持たずに
「今のままで十分幸せだ」と認識できたら
それはすでにユートピアなのです
このように、私達は
お金がなくても、思い通りにできなくても
心が安定した、穏やかでにこやかな世界
つまりはユートピアに生きることが可能なのです
ぜひ、参考にしてみてくださいね
お釈迦さま