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「正岡子規に学ぶ」問題を認識しない考え方

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。

お釈迦さま

この動画では、正観さんの本で紹介された
問題を問題として認識しなければ悩みはなくなる」という意味を
正岡子規まさおかしき生き方を参考にご紹介していきます

正岡子規とは


明治時代に活躍した日本の俳人です
34歳という短い生涯ですが
その後半生はほとんど病床で過ごしたようです

若くして肺結核はいけっかくを患っていたようです。

当時、結核は不治の病とされており
必然的に死を意識せざるを得なかったようです

さらに、結核菌が脊椎を冒し脊椎カリエスという難病に悪化します
以降、床に伏す日が多くなり
手術を繰り返すも病状は好転せず

お尻や背中に穴があいてが流れ出る状態だったようです

死ぬまでの3年間は、寝たきりになり
寝返りもうてないほどの激痛を麻痺剤で和らげながらも
俳句・短歌を書き続けたり
後輩や弟子たちへの指導を続けたそうです

正岡子規の由来

正岡子規の本名は「正岡常規つねのり」というそうです。
子規は俳名のようで、ちなみに、子規とは
ホトトギスを漢字表記したものですが
結核のせいで喀血かっけつした自分自身を

口の中が赤いホトトギスになぞらえて
俳名を正岡子規としたようです

お釈迦さま

では、続けて正観さんの
正岡子規に対しての感想が次となります

正観さんの感想

柿くへば、鐘が鳴るなり法隆寺」の句は、
子規が28歳のときに、病床を抜け出して奈良に行ったときに詠んだ句で子規の最も有名な句です

旅の途中で痛みに耐えながら詠んだ句とは思えないほど、人の心を癒やします

脊椎カリエスの激痛に苦しんでいながら、その痛みについては何も書き残していません
痛み・嘆き・死への恐怖といった内面の問題はいっさい句の中に投影しないという
子規の文学論を実践しているように思えます。

死と隣り合わせて血を吐く自分の姿さえブラックジョークにし、
痛みや嘆きというものを句の題材にしなかった子規は、
いわば「強靭な精神力」を持った人といえるでしょう。

一方で私たちは、問題と向き合った時
どうやって解決するか?」を考えます

ですが、それでは、永遠に問題はなくなりません
努力でどうこうするのではなく、
問題を問題と認識しなければ」悩みはすべてなくなります

子規のように、病気をも笑い飛ばして
問題を問題としない、力を抜いた生き方のできる人が
本当の強靭な精神力の持ち主ではないでしょうか

いかがでしょうか

私たちは、病気や事故に遭うと
「なぜ自分だけこんな目に…」と悲観したり、
「幸せでないと困る」というような不満をもらしたりします

ですが、それだと正観さんのいうように、永遠に問題はなくなりません
しかし、「思いを無くす」「自分がどう生きるかだけ」という悟りの生き方をすれば
問題は無くなってしまうのです

もちろんこのことは、事故・病気だけでなく
人間関係やトラブルなど、すべての悩みに共通して言えることです

お釈迦さま

どのように生きるかは個人の自由ですが
辛い・苦しい・不幸だと言っていれば、それを言い続ける生涯となり

嬉しい・楽しい・幸せと言っていれば、それを言い続ける生涯となるのかもしれません。

今回のお話が参考になりましたら幸いです

参考にさせていただいた書籍↓