お釈迦さま
ちょっとしたことで、ついつい怒ってしまうような性格を直したいと思っている人も多いと思います。
こちらでは、小林正観さんの引用から「怒らない人格者になる方法」を紹介します。
こちらでは、小林正観さんの引用から「怒らない人格者になる方法」を紹介します。
もくじ
【小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉】より一部引用
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引用ここから
人間が怒ったり腹を立てたりするというのはどこからくるかというと、正義感から生じていることが多いようです。
自分が正しくて相手が間違っていると思ったときに人間は腹を立てるのですが、実は、腹を立てている自分が一番損をする。
損得勘定でいうととても損をしています。
腹を立てている人を、腹を立てない人から見ると、「ばっかみたい」。
腹を立てるとは、損得勘定で考えるとあまりプラスにならないことを、一生懸命やっている、それも自分が正義だと思ってやっているということですが、その結果として体をどんどん壊している可能性がある。
(引用ここまで)
自分が正しくて相手が間違っていると思ったときに人間は腹を立てるのですが、実は、腹を立てている自分が一番損をする。
損得勘定でいうととても損をしています。
腹を立てている人を、腹を立てない人から見ると、「ばっかみたい」。
腹を立てるとは、損得勘定で考えるとあまりプラスにならないことを、一生懸命やっている、それも自分が正義だと思ってやっているということですが、その結果として体をどんどん壊している可能性がある。
(引用ここまで)
お釈迦さま
では、以下は私なりに考えをまとめてみます。
怒りの根源は正義感
お釈迦さま
「怒り」の感情は正義感から来ることが多いようです。
現象に対して「自分が正しい」「相手が間違っている」というような感情が正義感になったりします。
現象に対して「自分が正しい」「相手が間違っている」というような感情が正義感になったりします。
怒ると「自分が一番損をする」
ポイント
ストレスを溜めると、病気になります。さらに、シワが増えたり、日頃から怒り顔になったり、周りの人間関係が悪化していったり、仕事をやめるハメになったり、、、
いいことはありません。
怒らないためには
お釈迦さま
どのような現象が起こっても、自分の価値観で判断しなければよいだけです。
たとえ、客観的によくないとされていることでも「わたしはしない」と思うだけです。
それを、糾弾したり論評しようとすると、怒りが生じます。
たとえ、客観的によくないとされていることでも「わたしはしない」と思うだけです。
それを、糾弾したり論評しようとすると、怒りが生じます。
我慢するのは納得がいかない
ポイント
ここまで読んで「なんか、ただ我慢してるだけですよね。我慢する側は、損だと思うのですが」と思った方もいるかもしれません。
「怒らない人格者」は、我慢しているのではありません。
何が起こっても気にならないのです。
それは、モノの見方によってです。
例えば、コップに水が半分入っているとします。
ある人は、「誰が飲んだんだ!」と怒ります。
ある人は、「半分も残っている」と肯定的になります。
さらにある人は、「誰かが半分も残してくださった」と感謝します。
しかし、現象は、コップに水が半分だけと、どれも同じです。
どのような問題も実は、自分の価値観という色眼鏡を通した結果、怒りが生じます。
なので、その色眼鏡を外してしまえば、「どこに問題があるの?」と気にならなくなるのです。
そして、そうすれば自分が一番得するしラク。
また、それを損得勘定で行ってもよいというのが正観さん流なのです。
「怒らない人格者」は、我慢しているのではありません。
何が起こっても気にならないのです。
それは、モノの見方によってです。
例えば、コップに水が半分入っているとします。
ある人は、「誰が飲んだんだ!」と怒ります。
ある人は、「半分も残っている」と肯定的になります。
さらにある人は、「誰かが半分も残してくださった」と感謝します。
しかし、現象は、コップに水が半分だけと、どれも同じです。
どのような問題も実は、自分の価値観という色眼鏡を通した結果、怒りが生じます。
なので、その色眼鏡を外してしまえば、「どこに問題があるの?」と気にならなくなるのです。
そして、そうすれば自分が一番得するしラク。
また、それを損得勘定で行ってもよいというのが正観さん流なのです。
どっちをとるかはあなたの自由
お釈迦さま
別に今まで通り、相手を怒って、裁いてという人生をおくるのもあなたの自由です。
反対に、怒るのをやめてみようと、別の価値観で生きていくのもあなたの自由です。
反対に、怒るのをやめてみようと、別の価値観で生きていくのもあなたの自由です。