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「 努力してもしなくても関係ない」

動画で解説

このページの内容を簡単に動画でまとめています。


以下、文による解説です。

お釈迦さま

この動画では、心学研究家「小林正観さん」による
人生は努力してもしなくても関係ない」と考えさせられる
正観さんのエピソードを3つご紹介します

槐の間

正観さんは国内ツアーを毎年開催されていたそうですが
岩手県の「緑風荘りょくふうそう」という旅館に行かれたときの話です

ちなみにこの「緑風荘」は「座敷ざしきわらし」が出ることで有名で
目撃した人は何百人にもいるそうです

とくに「えんじゅの間」と呼ばれる部屋で
座敷わらしは多く姿を現すとのこと

「座敷わらしを見た者には幸運が訪れる」という言い伝えがあり

ポイント
実際に見た人の中には、

倒産しかけていた会社が急に盛り返した人や
いままでずっと結婚できなかった人が急に良縁に恵まれたりなどの体験談があるそうです

そんな「槐の間」ですが、予約は3年先までいっぱいのようです

お釈迦さま

予約がいっぱいなので、正観さん御一行は、別の部屋を予約しました

当日、緑風荘に到着すると「槐の間」の予約者が何時になっても来なかったそうです。

緑風荘では、必ず1週間前にキャンセルがでないか予約確認の電話は済ませているとのことです

キャンセル待ちをしている人たちもいるので、
当日に来ないというハプニングが起きない限り、槐の間に予約なしで入ることはできません

ポイント
お客さんが誰もいないという日は、3年に一回あるかないかではなく
今までに一度も起こらなかった…
それなのにそのようなことが起こった

もちろん旅館の人は、当日にもずっと電話をしていたのですが誰でも出なかったそうです
結局、正観さん御一行70名が(旅館のご厚意により)自由に槐の間を利用できたそうです

ポイント
ちなみに正観さんが「槐の間」に入ったところ、突然オルゴールが鳴ったり
ぜんまい仕掛けの電車が急に走り出したり
袖を引っ張られたりしたそうです
注意
※ちなみに、現在「槐の間」は、
「共有スペース」になり宿泊はできないとのことです

お釈迦さま

続いて、次のエピソードです

砂金採り

別の日に、「正観さんと行くツアー」で
山梨県の湯之奥金山博物館ゆのおくきんざんはくぶつかんに行き
30名ほどで砂金採りをされたようです

砂利の中にある砂金を探し、
見つけた金(キン)はもち帰れるとのことでした

30人が順番に並び、
砂金をすくう場所は自分で選べなかったとのこと

一番多くすくった人は44粒だったそうです
ところが正観さんは、
参加者の中で一番少なく5粒でした

ですが、重さの総量では正観さんが一番多く
キンなので価値が一番高かったことになります

読者アンケート

「ゆほびか」という雑誌に、正観さんが文章を書いた時のことです
芸能人の特集が書かれていたりして200ページのボリュームがありました

その中で、正観さんが担当したのは見開き2ページですが
広告やイラストなどが入り、実質は1ページ部分のみ

しかも正観さんいわく(トイレ掃除の話ですが)たいしたことは書いていないとのこと

芸能人の黒木瞳さん榊原郁恵さんらは4~6ページの特集だったり
他にも、トイレ掃除のことを書いていた人はいたそうです

ところが読者アンケートの「面白かった記事は?」という問いに、ダントツでトップだったと
編集部の人から連絡があり、再度、仕事の依頼を受けたようなのです

努力をしていない

さて、3つのエピソードをご紹介させていただきました
正観さんはこれについて「まったく努力もしていないし
自分の力で、どこかに働きかけたわけでもない
」と言いました

じゃあなぜ、うまくいったのでしょうか?

それは「宇宙や神を味方につけているから」とのことです
ではどうやって宇宙や神を味方につけているのでしょうか?

それは「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言ってこなかったからのようです

正観さんの過去

正観さんは大学2年生のときに、
父親から「家業を継がないのなら出て行け」と言われ
「はい、わかりました」と出ていきました

フリーの物書きという不安定な職業だったにもかかわらず、
それでも親の助けを借りず、お金にもずっと困らずにやってこれたそうです

30歳で結婚されて、
なかなか子どもができなかったときも文句を言わなかった

やっとできた子どもが知的障害を抱えていたという現実にも愚痴を言わなかった

他にも100人いれば99人が愚痴・泣き言を言ってしまう状況に
何度かあったようですが一度も愚痴を言わなかったようです

努力は関係ない

例えば、砂金の話ですが
たとえ人よりも「頑張って砂金をとるぞ!」と思っても

たった5粒で44粒の人に総量で勝ることは意図的にやろうとしても
砂利のなかから探すのは不可能です

もちろん、3つのエピソードとも「努力」も「望み」もしていなかったのです

お釈迦さま

宇宙を味方にすると、
努力も頑張りもしていないのに
当人が「楽しい」と思えるような出来事が起こり始めるようです
ポイント
これらのことから、自分の努力とは関係なく
人生が決まっているらしい(人生シナリオどおり)と正観さんは言いました

だからといって「努力をするな」という意味ではなく

ただ、努力して望みが叶う人もいれば、努力しても叶わなかった人もいる
つまり、「努力をすれば望みが叶う因果関係はない」という結論です

いかがでしょうか

お釈迦さま

「目の前の現象」を受け入れることで、不平不満がなくなり
その結果、努力しなくても人生がうまくいく(神が味方してくれる)

ただただ感謝だけで生きていく…
そのような生き方も悪くはなさそうですね

参考にさせていただいた書籍↓