私たちは 日々
いろんな事で悩みます
人間関係・健康・お金など
悩みがつきることはありません
そこで今回は
そんな悩みを解消できる
「無我の境地」
これを わかりやすく紹介します
ぜひ最後まで ご覧ください
人間は 「自分」に執着することから
悩みが始まります
自分のお金
自分の健康
自分の地位
自分の評価
当たり前のように思えますが
見ず知らずの他人のお金で 悩んだりはしないのです
この、「自分という存在」は
「自我」という言葉でも表現できます
自我があるからこそ
他者と比較してしまい
自我があるからこそ
失ったものに目がいき
自我があるからこそ
執着する
人間には みな「自我」があり
だからこそ みんな 悩むわけですが
お釈迦様は 「無我」という言葉を残されました
仏教での「無我」とは
「自分なんて ない」と考えるのです
どういうことかと 言いますと
人間の体の細胞は 常に入れ替わっている
一説によると 3ヶ月でだいたい入れ替わってしまう
そもそも 人の体は 食べた物から できている
つまり「自分以外」のもので できている
確固たる自分といえるのが そもそもない ということになる
それに 人はいつか 死にますよね
肉体も 灰となり 土に返る
だから「自分なんて ない」
続けて お釈迦様は
思考や感情すらも 「確固たる自分」ではなく
外から影響を受けているに過ぎない と言います
例えば 天気が雨で イライラしたら 天気の影響を受けただけ
他人を見て 羨ましいと思ったのなら その人の影響を受けただけ
気分なんて その都度 ころころ 変わるし
記憶ですら 忘れたり 「記憶違い」を起こしたり あいまいなもの
これらの ことから お釈迦様は
「自分」とは さまざまな条件の寄せ集めに過ぎない
「確固たる自分」など存在しないと説きました
さて、わかるような わからないような
今は そんな感じでOKです
私が 無我を紹介したのは、
その先にある視点が素晴らしくて
みなさんに お伝えしたいから
「自分など ない」という視点で考えると
名前も、性格も、役割も、
全部「仮のラベル」みたいなもの
名前は 親が決めただけ
性格も 育った環境によるもの
役割も たまたまそこにいたから
要するに
現在の「自分」というアイデンティティーは
ただの設定だと 思えてくる
すると いろんなことに執着しなくなってくる
執着がなくなれば 悩み苦しみがなくなる
では、どのように悩みがなくなるのか
次で 具体的に解説します
さきほど 「自分が…」という
自我 があるからこそ 人間は悩むと言いました
しかし、「自分なんて そもそも ない」
現在の自分は “運ばれてきた ただの設定“と考えると
いろんなことが「どうでもいい」と思えてきます
例えば
他人の評価 は どうでもいい
自分なんて あって ないようなものなんですから
他人の評価を気にしても しょうがないわけです
人からバカに されても
「ああ この人は 私の設定をバカにしただけ」
私なんて あって ないようなものだから
気にしても しょうがない
プライド・見栄 どうでもいい
成功・失敗 どうでもいい
過去の後悔 どうでもいい
未来の不安 どうでもいい
ね、
「自分が…」という自我がなくなれば
たいていのことは どうでもよくなります
すると、悩み 苦しみは 減っていくでしょう
ここで 注意点があります
「どうでもいい」からといって
努力がまったく必要ないわけではない
「無気力」や「投げやり」とは違います
生きていくためには、
多少の努力も必要ですし
人間関係も 円満なほうが
楽しいわけですから工夫は必要です
「どうでもいい」とは、
あなたを苦しめる悩みが「どうでもいい」
このように おぼえてください
そして おもしろいことに
「どうでもいい」と言いながら
執着をなくしていくと
人生が好転していきます
なぜなら
心が解放され
ストレスが減り 健康になったり
よく眠れたり
本当にやりたいことが見つかったり
目の前に集中できるから
パフォーマンスも上がる
「自分」という枠組みを はるかに超えて
より大きな流れに乗ったりする
人間関係でもそう
「どうでもいい」と執着をなくすことで
相手に 自分の正義を押し付けなくなる
人と比べないから 嫉妬がなくなる
味方が増えて
人から助けてもらえるようにもなる
ね、 自我がから悩みが始まっているというのが
だんだん わかってきたんじゃないですか?
「無我の境地」から「どうでもいい」と思えたら
かなりラクに生きられそうですね
ここでもう一つ
無我の境地には
心が軽くなる視点があります
それが次です
自分なんて あって ないようなもの
だとすれば
今の自分の現状は 単なる 設定
先程も言いましたが
名前も、性格も、役割も、
全部「仮の設定」みたいなもの
つまり アニメや テレビドラマのように
設定を 演じているだけ とも捉えれる
だとすれば 自分の人生が
まるまる 1本の映画のように思えてくる
映画だと思えたら
日々の 出来事に
深刻にならなくて済むわけです
例えば、お金がなくても
「なんとかなる」
「生きてるだけで 幸せ」
と 笑い飛ばせるかもしれません
たとえ 詐欺にあったとしても
どうせ あの世にお金はもっていけない
最低限のお金だけあればいい
いい勉強になった
と 俯瞰して見れるかもしれない
苦しみの根幹は
「自分がなぜ…」と思うから苦しむわけです
ちなみにミュージシャンの矢沢永吉さんは
信頼していた部下に騙され
35億円の借金を背負いました
当初は、立ち直れず
酒に溺れてしまったそうですが
ある時、こう考えたそうです
「これは映画だと思えばいいや」
そこから吹っ切れたようで
最終的には、借金をすべて返済しました
また
病気になったとしても
「自分がなぜ…」ではなく
映画だと 思えば
少しは 気がラクになるでしょう
病気かどうかが 重要なのではなく
「あなたという人生の主役」が
どう生きるかが重要なわけです
病気に執着せずに、
人生を楽しむこともできる
本当にやりたいことをするのもいい
同じように困っている人の
支えになることもできる
深刻にならなくていいのです
貧乏だろうが、理不尽だろうが、
悲劇のヒロインだろうが
楽しめばいい
人生 笑い飛ばして生きてみてください
喜劇王のチャップリンは
こんな言葉を残しました
人生は 部分で見たら悲劇だが
全体で見たら喜劇である
今目の前に起こる つらい出来事も
後から 笑い話になることだってある
自分の成長に繋がることもある
共通して言えるのは
後にならないとわからない
どうせ 後になったら 解決するのですから
「つらい 苦しい」と言って生きるより
「どうでもいい」と笑い飛ばしましょう
時間が経てば 必ず解決なり
納得しているはずです
それに 人生は
悪いことだけではないですからね
きっとまた いいことがありますよ
20年ほど前
女性芸人の「だいたひかる」さんが
テレビで活躍されていましたが
その時の芸風が
「どうでもいいですよ」から始まる漫談でしたw
なので もし 今後 あなたが
イライラしたり
不安を感じそうになったら
「どうでもいいですよ」と口に出しては いかがでしょうか
さて、今回のテーマ
無我の境地 はいかがだったでしょうか
自分なんて あってないようなもの
だから 執着しないように
と お釈迦様も言いたかったのだと思います
自我という執着を 手放していけば
かなり ラクに生きられると思いますので
ぜひ参考にしてみてくださいね
人生なんて あっという間
くよくよしてたら もったいない
お金も あの世には持っていけません
だから人生、 楽しんでいきましょう
