お釈迦さま
「離婚をするか、しないか」で迷う人は多いかと思います。
では、スピリチュアル的に、離婚を考えた場合、
「離婚してもいいのか」「離婚してはいけないのか」
これについて、小林正観さんの面白いお話があるので、紹介します。
では、スピリチュアル的に、離婚を考えた場合、
「離婚してもいいのか」「離婚してはいけないのか」
これについて、小林正観さんの面白いお話があるので、紹介します。
小林正観さんの引用ここから
「魅力的な人々」より引用
「離婚しようかどうしようか、、、」と悩んでいる人は、離婚したいなら試しにしてみたら良い。
離婚したいと思って実際できるものならば、できるでしょう。
しかし、離婚したいと思っても、「神の承諾」がない場合は、できません。
「どうしてこんな人と結婚したのだろう」と思っても、それは、自分が書いたシナリオで、しかも神が承認印を押しているからです。
これは「ガマンをしろ」と言っているわけではありません。
別れたいのだったら、別れればいい。
ただ、「別れたい」と思って実際そうできるのだったら、別れられるでしょうが、「その結果そうならない」場合もあります。
それが自分の意思とは関係ない人生のシナリオというもののようだからです。
先日、本当に当人の意思と「人生のシナリオ」とは関係がないのだと思い知らされるような出来事がありました。
私の講演会の二次会で20人ほどで席を囲んでいたときに、50歳くらいの女性が突然倒れてしまったのです。
これは、脳溢血 かなにかではないだろうか、ということで、急遽、近くの病院へ運びました。
すると案の定、脳溢血。
そして、その彼女の知人が家に連絡をして、旦那さんと子供が駆けつけました。
ところが後日、聞いたところによると、実はその時の彼女は離婚を決意して家を出て、一人でアパートを借りて一人暮らしを初めて1週間というときだったのだそうです。
知人たちは、そのような事情を知らなかったので、すぐに家族へ連絡したのでしたが、その結果、夫と子どもたちは彼女のために病院へ生活用品等を届け、毎日、世話をしに通いました。
幸いにして彼女は軽症の脳溢血だったので、2ヶ月後には退院することができました。
退院後、その家族はどうなったと思いますか。
彼女は一人暮らしのためのアパートを引き払い、結局もとの家庭に戻りました。
そして、現在はとても仲良く、夫と子どもたちと、楽しく暮らしているそうです。
離婚しようともしても、家を出て一人暮らしをしようとしても、神の承諾のないことは、起きません。
ですから、離婚したかったら、ああじゃこうじゃ「不平不満・ぐち・泣き言・悪口・文句」を言わないで、笑顔で別れる。
別れないのだったら、「不平不満・ぐち・泣き言・悪口・文句」を言わないで、笑顔でそのままいる。
この女性は離婚するという決意で、一人暮らしを始めた。
そして、脳溢血で倒れ、夫と子供が世話をし、その結果、絆が強まり、離婚しないことになりました。
彼女の立派なところは、とにもかくにも「決意した」というところです。
グチグチ言うのをやめ、別れようと決断を下し、そして実際に家を出て一人暮らしをするという行動にうつしていました。
しかし、その彼女の決断とは正反対の結末、つまり離婚しないで元のさやにおさまるという結果になったのですが、それはそれで彼女にとって納得のいく(愚痴を言わないで結婚生活を送ることができる)結果だったことでしょう。
彼女の思惑とは裏腹に、思いも寄らない経緯をたどることによって。
人生のシナリオは、往々にしてこのような「二段構え」になっています。
決意したからといって、必ずしも、その決断通りの結果を得られるとは限らない。
決意した人間には、必ず、神の承諾のもとに何らかの結果がもたらされる。
よって、決意しない人は、ずっとそのまま。
愚痴を言い続けるだけでなにもアクションを起こさない人間は、いつまでも同じ地点でグルグル回っているだけ、甘えているだけなのかもしれません。
結論を先延ばしにして、モラトリアムのままグチグチぐじゃぐじゃ言い続けるのは、失敗を恐れているから。
しかし、「失敗」を恐れる必要はありません。
失敗かどうかを誰が決めるのですか。
ある人気歌手が、結婚を決めたときにこう言っていました。
「あなたよりも収入は劣るかもしれないその男性と、結婚しようと決めたのはなぜですか?」
と聞かれて、
「彼は、私に初めてプロポーズしてくれた人だからです。」
この答えは、かっこいいと私は思いました。
その後、この歌手は何年かの結婚生活を経て離婚してしまいましたが、では結婚したことは「間違い」だったのでしょうか。
そのような体験をした人は、人間性にさらに深みがマシ、魅力的な人になったことでしょう。
そのような人のそばには、さわやかな風が吹き、川がサラサラと流れているような気がします。
~引用ここまで~
離婚したいと思って実際できるものならば、できるでしょう。
しかし、離婚したいと思っても、「神の承諾」がない場合は、できません。
「どうしてこんな人と結婚したのだろう」と思っても、それは、自分が書いたシナリオで、しかも神が承認印を押しているからです。
これは「ガマンをしろ」と言っているわけではありません。
別れたいのだったら、別れればいい。
ただ、「別れたい」と思って実際そうできるのだったら、別れられるでしょうが、「その結果そうならない」場合もあります。
それが自分の意思とは関係ない人生のシナリオというもののようだからです。
先日、本当に当人の意思と「人生のシナリオ」とは関係がないのだと思い知らされるような出来事がありました。
私の講演会の二次会で20人ほどで席を囲んでいたときに、50歳くらいの女性が突然倒れてしまったのです。
これは、
すると案の定、脳溢血。
そして、その彼女の知人が家に連絡をして、旦那さんと子供が駆けつけました。
ところが後日、聞いたところによると、実はその時の彼女は離婚を決意して家を出て、一人でアパートを借りて一人暮らしを初めて1週間というときだったのだそうです。
知人たちは、そのような事情を知らなかったので、すぐに家族へ連絡したのでしたが、その結果、夫と子どもたちは彼女のために病院へ生活用品等を届け、毎日、世話をしに通いました。
幸いにして彼女は軽症の脳溢血だったので、2ヶ月後には退院することができました。
退院後、その家族はどうなったと思いますか。
彼女は一人暮らしのためのアパートを引き払い、結局もとの家庭に戻りました。
そして、現在はとても仲良く、夫と子どもたちと、楽しく暮らしているそうです。
離婚しようともしても、家を出て一人暮らしをしようとしても、神の承諾のないことは、起きません。
ですから、離婚したかったら、ああじゃこうじゃ「不平不満・ぐち・泣き言・悪口・文句」を言わないで、笑顔で別れる。
別れないのだったら、「不平不満・ぐち・泣き言・悪口・文句」を言わないで、笑顔でそのままいる。
この女性は離婚するという決意で、一人暮らしを始めた。
そして、脳溢血で倒れ、夫と子供が世話をし、その結果、絆が強まり、離婚しないことになりました。
彼女の立派なところは、とにもかくにも「決意した」というところです。
グチグチ言うのをやめ、別れようと決断を下し、そして実際に家を出て一人暮らしをするという行動にうつしていました。
しかし、その彼女の決断とは正反対の結末、つまり離婚しないで元のさやにおさまるという結果になったのですが、それはそれで彼女にとって納得のいく(愚痴を言わないで結婚生活を送ることができる)結果だったことでしょう。
彼女の思惑とは裏腹に、思いも寄らない経緯をたどることによって。
人生のシナリオは、往々にしてこのような「二段構え」になっています。
決意したからといって、必ずしも、その決断通りの結果を得られるとは限らない。
決意した人間には、必ず、神の承諾のもとに何らかの結果がもたらされる。
よって、決意しない人は、ずっとそのまま。
愚痴を言い続けるだけでなにもアクションを起こさない人間は、いつまでも同じ地点でグルグル回っているだけ、甘えているだけなのかもしれません。
結論を先延ばしにして、モラトリアムのままグチグチぐじゃぐじゃ言い続けるのは、失敗を恐れているから。
しかし、「失敗」を恐れる必要はありません。
失敗かどうかを誰が決めるのですか。
ある人気歌手が、結婚を決めたときにこう言っていました。
「あなたよりも収入は劣るかもしれないその男性と、結婚しようと決めたのはなぜですか?」
と聞かれて、
「彼は、私に初めてプロポーズしてくれた人だからです。」
この答えは、かっこいいと私は思いました。
その後、この歌手は何年かの結婚生活を経て離婚してしまいましたが、では結婚したことは「間違い」だったのでしょうか。
そのような体験をした人は、人間性にさらに深みがマシ、魅力的な人になったことでしょう。
そのような人のそばには、さわやかな風が吹き、川がサラサラと流れているような気がします。
~引用ここまで~
引用させていただいた本はこちら
↓
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正観さんの話をまとめると
ポイント
・離婚は悪いことではない・離婚したければすればよい
・離婚したくても、神の承諾がないと離婚はできない
・離婚するならするで、愚痴を言わない
・離婚しないならしないで、愚痴を言わない
お釈迦さま
よく、正観さんは「人生のシナリオはすでに決まっている」とおっしゃいました。
そうしたら、「自分の人生をどうしたらいいのか」と悩むことも、エネルギーの無駄遣いだともおっしゃいました。
(つまりは、ラクに生きられるということ)
離婚で迷っている人の、心が少しでも軽くなったのなら幸いです。
そうしたら、「自分の人生をどうしたらいいのか」と悩むことも、エネルギーの無駄遣いだともおっしゃいました。
(つまりは、ラクに生きられるということ)
離婚で迷っている人の、心が少しでも軽くなったのなら幸いです。